ソーシャルメディア時代のリスクマネジメント

ソーシャルメディア関連を専門とするリスクコンサルタントが、企業のリスクマネジメントについて書いています。

ネット炎上における拡散の仕組み③ 「直感」と「ロジック」の具体例

前回は、なぜネット炎上において、人はわざわざ「拡散」をするのか、ということについてお話ししました。ただ、前回は抽象的な話が中心でしたので、実際にどういう状況なのかをイメージしにくかった方もいらっしゃるかもしれません。

 

そこで今回は、具体的な事例を挙げながら、「直感」と「ロジック」がそれぞれどのように「拡散」に寄与するのかを見ていきたいと思います。

 

具体例① 三ツ矢サイダーのCM

1つめの事例は、2017年に放送されていた三ツ矢サイダーのCMです。

 

当該CMの詳細については、下記の記事をご覧ください。

三ツ矢サイダーのCMが炎上 トランペット演奏中の人へ背後からぶつかるシーンに楽器経験者から批判続出 - ねとらぼ

 

リンク先の記事にもあるとおり、金管楽器演奏経験者を中心に「唇が切れる」「歯が折れる」などの声がソーシャルメディアで広がり、その声を受けて広告主がCMを差し止めた、というのが経緯です。

 

おそらく、「唇が切れる」「歯が折れる」といった視点は、金管楽器演奏経験者でなければ思い至らない盲点だと思います。(実際私も、Twitter上でこの指摘を目にするまで、全く想像が及びませんでした。)

つまり、大多数の未経験者からすれば、このCMにそのような問題が含まれていることなど気付きもしない可能性が高いわけです。しかしながら、経験者による「危険である」という指摘を目にし、「確かにその通りだ」と考えるに至って拡散をしたという構図があろうかと思います。

指摘を目にするまでは想像もしなかったであろう危険について、指摘を目にすることで、トランペットのマウスピースが自分の唇や歯に当たる感覚を想像するに至って「痛そう」という感覚を伴った直感が働いたのでしょう。また、同時に、その痛覚というのは、それを誘発することが社会悪であるという「ロジック」に裏付けられ、拡散させることにためらいを感じさせなかった、ということではなかろうかと思います。

 

具体例② パーフェクトワンのCM

2つ目の事例は、2018年に放映されたパーフェクトワン薬用ホワイトニングジェルのCMです。

新ブランドCM放映開始「パーフェクトワン 薬用ホワイトニングジェル 星座篇」 | 新日本製薬 株式会社

 

このCMの映像で使われている天体観測装置のうち、赤道儀という装置の設置の仕方が間違っているようで、放映当時、一部の天文ファンにより「恥ずかしい間違いだ」という主旨の指摘がなされました。

あいにく私は天体観測装置に関する知識を全く持っていないので、この指摘の妥当性を判断することができませんが、おそらくは天文ファンの方々の指摘は正しいのではないかと推察します。

ただ、この演出上の誤謬は、少なくとも第三者を傷つけたり、不当に貶めたり、ということには繋がらなさそうです。おそらく、指摘を目にした多くの人が受けた印象もそうだったのではないかと想像します。

つまり、本CMの誤謬に対する指摘の「ロジック」が一片の曇りもなく正しいのだったとしても、多くの人にとってピンと来ないものであり、「直感」に訴えかけるところが小さかったのだと思います。

 

結果、このCMに関する誤謬の指摘はほぼ拡散することなく、広告主側でも特段のアクションをおこなった様子は見受けられません。

 

「直感」と「ロジック」の両方が無いと、批判は「拡散」しない

三ツ矢サイダーの件から分かることは、「直感」は、そのCMを見たときに湧かなくても、誰かの指摘を見たタイミングで湧く場合がある、ということです。

 

他方、パーフェクトワンの件から分かることは、どんなに「ロジック」が正しくても、「直感」が伴わなければ「拡散」しないということです。

 

また、ここでは個別の事例を挙げることは控えますが、極右的ヘイトを煽る一部の言説が日本で広まらないのは、「ロジック」に欠陥があるためであることは明白です。(欧州などで極右政党の台頭が激しいのは、移民問題に関する背景が日本とは大きく異なっているため、その「ロジック」を正しいと思う人がそれだけ多いということなのでしょう。)

 

これらを総合して考えると、やはり「直感」と「ロジック」の両方がそろって初めて、批判は「拡散」します。

 

 

なお、本ブログのテーマから逸れるので詳しくは述べませんが、批判ではなく、ポジティブな話題の「拡散」については、必ずしも「ロジック」は必要ありません。

例えば、若手お笑い芸人がYoutubeでブレイクする場合には、そのネタがいかに正しいものであるかというような「ロジック」は関係なく、「おもしろい」という要素があればいいわけです。

(もちろん、面白ければOK、というだけのスタンスでは、宮城県や鹿児島県志布志市のPRのような結果を招くので注意が必要です。)

 

 

以上、3回にわたって、ネット炎上における「拡散」の仕組みについてお話ししてきました。

この話題については、これにて完結とさせていただきます。

 

 

 

ネット炎上における拡散の仕組み② 「拡散」における、直感とロジックについて

前回は、ネット炎上に至る「拡散」においては、直感に訴えかける要素と、「一理ある」と思わせるような頭の良さげな内容との2つが必要だ、ということを述べました。

 

今回は、その「直感」ということについて掘り下げていき、また、同時に、「一理ある」と思わせるような頭の良さげな内容との関係性についても考察していきたいと思います。

 

「直感」の正体とは

ここでは、哲学で言うところの「直観」ではなく日常語としての「直感」、つまり、「なんとなくそんな気がする」という感覚を指す言葉としての「直感」を前提にお話をしていきます。

 

何かの事象に対して反射的に起こる脳の反応としては、論理的思考よりも感覚的な判断でしょう。

たとえば、初対面の人に対する第一印象などは、パッと見の好き嫌いという「直感」によるものです。(もちろん、その「好き」「嫌い」の理由について、後からそれっぽい理屈をつけることはできると思いますが、それはあくまで後付けの理屈です。)

 

ロジックよりも先に直感が発生するというのは、社会心理学や行動経済学の分野では広く定着している考え方です。

2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの表現では、ここでいう直感は「システム1」、ロジックなど熟慮が必要なものは「システム2」と呼ばれます。(かなり雑なまとめ方をしていますので、詳細にご興味のある方は『ファスト&スロー』上巻下巻をご一読ください。)

 

前回の記事で書いた通り、この「システム1」の範囲に属する「直感」こそが、なんらかの事象を目にした時に思わずソーシャルメディアで発信してしまうトリガーになるのです。

 

この「直感」によるトリガーは非常に強力です。

心理学者のジョナサン・ハイトは著書『しあわせ仮説』の中で、欲求や感情のこと(本稿でいう「直感」も含むと考えて良いでしょう)を「象」に例え、意思や理性を「象使い」に例えました。

曰く、象使い(=意思や理性)は象(=欲求や感情)に対して行き先を指示することはできるが、必ずしもその指示に象が従うとも限らず、無理に従わせることもできない、というような主旨のことを述べています。

 

カーネマンの「システム1」とハイトの「象」は全く同じものを指すわけではありませんが、近しいものだと思って差し支えないでしょう。

例えば、バイトテロはまさしく「象」の暴走を止められなかった「象使い」の分かりやすい例です。また、「拡散」という現象に絞ったとしても、誰かを非難・批判するソーシャルメディアの投稿の中には、ちょっと常軌を逸した憎悪をむき出しにしているようなものもあり、そのような時に人間の中の「象」の暴れん坊ぶりを目の当たりにするわけです。

 

「直感」は常に暴走するのか

ただし、必ずしも「システム1」や「象」に人間のすべての行動が支配されている、ということではありません。

熟慮が必要な思考(理性的思考や論理的思考)によって行動をすることが可能な場合もあることを、我々は自身の経験として知っています。

 

特にソーシャルメディアにおいては、ネットユーザーの間での「ソーシャルメディアリテラシー」という名の自己防衛学習が進んでおり、そういうネットユーザーはかなり自覚的に情報を発信するようになっています。

もちろん、バイトテロを起こすような、全くリテラシー学習のできていないネットユーザーも居ます。

このことは、ネットユーザーの中でもリテラシーに大きな格差があることも示しています。

21世紀に入ったばかりの頃、インターネットを利用できる人とできない人の間での情報格差が問題となり、「デジタルデバイド」などと呼称されていましたが、これに加えて現代に起こっているのは、ソーシャルメディアリテラシーによるデバイドであると言えます。)

 

前回の記事でも触れたとおり、直感的なリアクションを自制するネットユーザーは多々います。

その「制止する」行動はリテラシー学習の成果ですし、そのようなソーシャルメディアリテラシーの高い層の方が、「拡散」における影響力が大きいように思います。(これに関してはエビデンスは無く、私のウォッチャーとしての経験の中での印象です。)

 

直感的なリアクションを抑止した場合、結果としてどのようなリアクションになるかというと、より支持されやすいロジックへの落とし込みです。(前回の記事では、「「一理ある」と思わせるような頭の良さげな投稿」と記載していたものです。)

 

単に「嫌いだ! 不快だ!」と言っているだけでは、単なる個人の嗜好の話であるため、第三者にとって説得力を持つ内容になりません。

このため、「直感」で「嫌だ! 不快だ!」と感じたものであっても、より多くの人にその「直感」に同意してもらう(「一理ある」と思ってもらう)ためには、なんらかの普遍的な表現に昇華させなければなりません。その際、手間暇をかけるなら、短編映画を作るなどのような表現方法も可能ですが、多くの場合は文章情報(イラストが描ける人は漫画仕立てにすることもありますが)です。

広い範囲の人々が同意できるように文章で表現するためには、広い範囲の人々にとってそこに普遍的な価値が見出されなければなりません。その時によく用いられるのが「正義」です。

 

ネット炎上における「正義」

ここでいう「正義」は、非常に広範な概念を内包します。

ジャスティスのような絶対正義から、素朴な道徳感情、フェアネスやウェルビーングのような理念、リバタリアンやコミュタリアンといった倫理に関するそれぞれの主義など、多様です。

このため、ある人が「正義」だと思っていることが、他のある人にとっては全くの不正義である、ということもあり得ます。(様々なステークホルダーの意見がインターネット上で可視化されている昨今、「正義」がいかに多様なものであるかはすぐに理解できるでしょう。)

ですから、「正義」そのものを声高に主張しても、多くの人の同意は得られにくいと思われます。

では、大きく拡散する、つまり、多くの人が首肯し「その通りだ!」と声を上げやすいのはどのような場合かというと、「いろいろな正義があるとは思うけど、どんな正義に照らしても、これは良くないことなんじゃないか?」というロジックです。

 

たとえば、人種差別は「正義」を尺度とした場合、どんな種類の正義でも正当化するのは難しいでしょう。(1800年代には、大真面目に正義の枠内で人種差別を正当化する言説が主流を占めていたこともあったでしょうけれど。)

これが、「人種差別を解消するためにはどのような対策を取るべきなのか」という具体的なことになってくると、各人の「正義」の在り方によって見解が異なるでしょう。が、人種差別は悪であるという総論としては一致を見やすいので、「この広告表現はこういう部分が人種差別に当たって、けしからん」という投稿には同意できる人が多くなるわけです。

 

この「正義」を主張できるロジックこそが、ネット炎上において「拡散」に対する阻害要因を解消するわけです。

 

とはいえ、ここまで見てきた内容だけでは、「拡散」に対する阻害要因が取り除かれただけで、積極的に拡散する理由にはなっていません。

なぜ人は、自分が当事者でもない問題に対して、場合によっては被害者以上に熱心に非難や批判をするのでしょうか。

 

それについては、脳科学で説明可能です。

端的に言ってしまうと、人間の脳は「正義」を行使すると快楽ホルモンであるドーパミンが放出されるように出来ており、このドーパミンによる快楽は非常に強い動機づけになるからです。

 

橘玲さんのブログに、非常に端的に説明されている記事がありましたので、ご紹介します。(やや偽悪的な書き方をしているのがちょっと気になりますが・・・)

ネットを徘徊する「正義依存症」のひとたち 週刊プレイボーイ連載(326) – 橘玲 公式BLOG

SNSの「正義」はオルガスムと同じ? 週刊プレイボーイ連載(373) – 橘玲 公式BLOG

 

この記事は「ネット炎上」ではなく「ネットリンチ」的な事象を強く意識した文脈になっていますので、非常に否定的なニュアンスを有しています。

私個人の意見を申し上げれば、ネットリンチは決して許されることではないのに対し、ネット炎上は社会として有益な学習機会であると考えていますので、現象自体を悪であるとは考えていません。(「どんどん燃やせ!」ということではありません。念のため。)

 

ネットリンチとネット炎上の違いについては、また改めて別の記事で書きたいと思います。

 

なお、脳科学に関するこのあたりのことをより詳しく知りたい、という方は、脳科学者・中野信子さんの『シャーデンフロイデ』をお読みいただくのが良いと思います。非常に平易に、正義感情による他罰行為(本書ではこれを「利他的懲罰」と呼んでいます)を脳科学の観点から解説してくれています。

 

以上から、「正義」の行使は快感につながるというのが「拡散」の積極的理由と考えて良いでしょう。

 

「拡散」には「直感」と「ロジック」の両方が必要

ここまで、いつにも増して理屈っぽいお話をしてきましたが、結論めいたことを言えば、ネット炎上における「拡散」の原動力としては、「直感」による「けしからん!」という思いと、「ロジック」によって正義感情に訴えかける普遍性の両方が必要である、ということに尽きます。

 

今回は非常に抽象的なお話に終始してしまったので、次回はこの「直感」と「ロジック」の2つが、炎上にどのように寄与するのかを、実際にあった事例を元にお話していきたいと思います。

 

 

ネット炎上における拡散の仕組み① 「拡散」はネットユーザーのリアクションの積み重ねである

「ネット炎上」とは、「多くの人」がソーシャルメディアにおいて、特定の人や企業・団体の言動に対して批判・非難の声を上げている状態のことを指します。10人や100人といった程度のネットユーザーが話題にしたからといって、それは「ネット炎上」とは呼びません。

 

また、ネット炎上には「拡散」という現象が伴います。

これは、ネット炎上の元となっている人や企業・団体の言動を見て「けしからん!」と声を上げた人のソーシャルメディアでの投稿を見た人が、「確かにけしからん!」と同調し、さらにその批判の輪を広めていく現象のことを指します。(ここでいう「拡散」はネット炎上での話に限定していますので、他のシーンでの「拡散」については考慮に入れていません。)

先に述べたように、10人や100人が批判・非難しても「炎上」と呼ばないのは、この「拡散」が伴わないからです。

 

つまり、ネット炎上という現象は、「けしからん!」という投稿をソーシャルメディア上で見た人が、「確かにけしからん!」と拡散させることによって大きくなる、という側面を持っています。

 

本稿では、この「拡散」に着目し、人が「拡散」をさせる動機について考察をしていきたいと思います。

 

「けしからん!」という声に、人はどう反応するのか

まず前提として理解しておきたいのが、炎上の規模が大きければ大きいほど、人がその炎上の元となっている事物を知るきっかけは、誰かが投稿した「けしからん」という批判であることが多くなる、ということです。

(炎上の規模が大きくなって各種メディアで取り上げられるようになると、他者の投稿よりも、ニュース記事やワイドショーなどが知るきっかけとなったりもします。)

 

たとえば、企業が新商品のCMをテレビで放映したとします。どれぐらい露出するかにもよりますが、基本的にそのCMはごく一部の人にリーチするだけです。(通常、当該商品のターゲット層に合わせた時間帯や番組を中心に放映枠を絞り込むので、全方位的なリーチにならないのは当然です。)

なので、当該CMに何らかの批判されるべき問題があった場合、そのCMを視聴した一部の人が「けしからん」と声を上げるわけで、その時点ではほとんどの人がそのCMの存在自体を知らないという状態です。

そのような状況下で、その「けしからん」という投稿を目にした人がどのような反応をするは、以下の3種類に分けられるでしょう。

 

  • 「確かにけしからん!」と同調する。
  • 「けしからんとは思わない」「むしろ自分はアリだと思う」と、元ネタであるCMを擁護する。
  • リアクションしない。

これらの反応の中で、1つめの「確かにけしからん」という反応がネット上で優勢かつ多数となれば「炎上」(flaming)ですし、「確かにけしからん」と「けしからんとは思わない」が拮抗した場合には「論議」(controversy)と呼ぶべきでしょう。(「flaming」と「controversy」については、こちらの記事をご参照ください。)

 

こうしたリアクションが更なるリアクションを呼び、「拡散」が発生します。もちろん、ネットの投稿だけが拡散を呼ぶのではなく、ネットメディアの記事やワイドショーなどで認知が広がることで、更なる大きな拡散を招きます。が、ネットメディアやワイドショーはある程度拡散が発生してからでないと取り上げませんので、初期の拡散は上記のような「確かにけしからん」「けしからんとは思わない」というようなリアクションから始まると考えるのが妥当です。

 

なお、数の上では、3つめの「リアクションしない」が最も多いのではないかと推測できますが、その人々が全く関心が無いのか、それとも内心は「確かにけしからん」「けしからんとは思わない」のどちらかの感想を抱いているのか、どちらであるかは分かりません。また、可視化されていない反応については「ネット炎上」という現象そのものとは直接関係が発生しないため、ここでは「確かにけしからん」「けしからんとは思わない」のリアクションに関して論じていきます。

 

なぜソーシャルメディアでリアクションするのか

では、なぜ人は、「けしからん」という投稿を見かけた時に、上記3パターンの反応に分かれるのでしょうか。

 

この問いは、「人によって異なる」という人間性の観点と、「目にした投稿によって異なる」という投稿内容の観点があります。

ここでは、前者の観点は企業の炎上対策としてはあまり意味が無いと考えますので、後者に議論を絞ります。(クレーマーみたいに、何にでも「けしからん!」と言う人のことを考えていても、炎上対策としては有効ではないので。)

 

みなさんも、ネットの投稿に限らず、新聞でもテレビでも、思わず「確かにそうだ」と同調したくなるような記事やコメントに接することがあるでしょう。

その逆に、「それはおかしいんじゃないか?」とツッコミを入れたくなるようなこともあると思います。

そして、大方の情報については、わざわざリアクションをするほどの関心も抱かずに、10秒後には念頭から消しているでしょう。

 

ネットの投稿にリアクションする人たちの思考もそれと同じです。

なんでもかんでもリアクションするということではなく、思わず同調したくなるような投稿や、思わずツッコミを入れたくなるような、直感に強く訴えてくる投稿に接した時に、リアクションする動機が生まれます。

しかしながら、自宅でテレビを見ながら独り言を言うのと、ソーシャルメディア上で発信することとの間には、ちょっとした違いがあります。それは、完全にプライベート空間のことで完結するのか、それとも、多少なりとも他人の目に触れるのか、という違いです。

 

自宅のテレビに向かって独り言を言うのは、せいぜい家族にしか聞かれません。しかしながら、ソーシャルメディアでの発信は、基本的には第三者の目に触れることを理解して発信している人がほとんどです(たまにその認識の薄い人もいますが)。

つまり、思わず直感的に発信したくなることを、発信せずに終わらせる阻害要因としての「他人の目」があります。

多くの人は、自宅のテレビに向かって独り言を言うのはあまり躊躇わなくても、街頭のテレビに向かって独り言を言うのは躊躇うでしょう。それと同じです。

 

これをまとめると、以下のようになります。

 

リアクションする動機やトリガー:直感に訴えかけてくる内容

リアクションを阻害する要因:他人の目

 

ここで、

「炎上に参加するようなネットユーザーは、他人の目なんか気にしないんじゃないか」

という疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。

それはおそらく、炎上に参加する人について「ネットばかりやっている引きこもりの社会不適合者」というイメージを持っているためでしょう。実際、NHKのドラマ『炎上弁護士』や日本テレビのドラマ『3A組』などでは、そのようなステレオタイプで描かれていましたので、そう考える方がいても無理はありません。

ですが、実態としては、ネット炎上参加者はそういった特殊な一部の属性に限っているわけではないことが、調査によって明らかになっています。

ネット炎上の研究 「炎上の分類・事例と炎上参加者属性」

 

本資料によると、炎上参加者の属性については、

  • 年収が多い、子持ちである、ラジオ利用時間が長い等の属性。
  • 学歴・結婚の有無・インターネット利用時間等は有意にならず。
  • 炎上に参加しているのは低所得・低学歴・インターネットヘビーユ ーザの人というイメージは支持されなかった。

とされています。(スライド38枚目)

 

つまり、目にしたものに直情的にリアクションするばかりでなく、リアクションをするにあたって他人の目も気にするということは念頭におくべきでしょう。

 

では、他人の目を気にした時、人はどういった投稿を止め、どういった投稿をするのでしょうか。

端的に言えば、その投稿を見た人からプラスの評価を得られると思う投稿をする、ということです。

 

ここでまた、疑問を持つ方がいらっしゃるでしょう。

「プラスに評価されることだけを投稿するのであれば、なぜバイトテロなんか起こるんだ?」

と。

それに対する答えば簡単で、投稿した本人はあれがプラスに評価されると思ったから投稿しているわけです。

というのも、自分の投稿を見ている「他人」は、その投稿を面白がってくれると彼らは思っていおり、職場の店長の目を想定していないからです。

つまり、投稿する人がどのような「他人」を想定しているかによって、想定する「プラスの評価」の種類も異なります。が、少なくとも、投稿においては、それぞれの知能と能力の範囲で読み手を意識している、ということは言えます。

つまり、「バカだけどおもしろい」と思われたい人は自分が思う「バカだけどおもしろい」ことを投稿しますし、「バカだと思われたく無い」と考える人は、バカだと思われないような内容で投稿を心がけます。

 

ここで、併せて考えたいのは、企業の炎上においては、企業の責任や倫理を問うものがほとんどである、ということです。

このような話題の時に「バカだけどおもしろい」投稿は、何の説得性も持ち得ません。これに対して、「一理ある」と思わせる頭の良さげな投稿が説得性を持ちますし、このような話題に際しては説得性こそが「プラスの評価」につながりやすいので、同調しやすいという面があります。

つまり、企業の炎上案件においては、「一理ある」と思わせるような頭の良さげな投稿こそ、リアクションにおける阻害要因を排除する(=リアクションをしやすくする)わけです。

 

上記のストーリーを「けしからん」という投稿と「確かにけしからん」というリアクションに当てはめれば、「けしからん」という投稿の内容が直感に訴えかけてくるようなものであり、同時に、「一理ある」というような頭の良さげな内容であれば、「確かにけしからん」というリアクションがしやすくなり、多くの人がリアクションした結果として「拡散」という現象が発生する、ということです。

 

以上が、ざっくりした「拡散」の仕組みでした。

 

 

次回は、直感に訴えかけてくるものとは何なのかについて掘り下げていきたいと思います。

 

 

下ネタは、下ネタだから炎上するのか

普段、広告関係者(広告代理店の方々や企業の宣伝・広告担当の方々)とお話をしている中での印象として、炎上狙いのプロモーションでもない限り「下ネタ」はプロモーションにおいてタブーである、ということが共通認識になりつつあるように感じます。

 

今回は、そんな「下ネタ」は、下ネタ”だから”炎上するのか、ということについてお話していきたいと思います。

 

「下ネタ」とは

「下ネタ」とひとくちに言っても、人によってイメージする範囲が異なるかもしれません。なにしろ「下ネタ」の「下」は「下品」の意味も含んでいると広義には解釈されるので、範囲を広げようとすればどこまでも広がっていきます。

通常は「下ネタ」といって想起される範囲は「排泄」と「性」ではないかと思いますが、「排泄」を積極的にプロモーションに利用することもないと思いますので、本稿では主に「性」に関する話題、砕けた表現をすれば「エロネタ」に焦点を絞りたいと思います。

 

下ネタ”だから”ダメなのか

近年のネット炎上史を考えた場合、「下ネタ」を理由に炎上に至ったプロモーションとして、鹿児島県志布志市PR動画「少女U宮城県観光PR動画「涼・宮城の夏」がまず挙げられるでしょう。

いずれも、露骨な性描写があったわけでなく、性描写を連想させるような描写があったことが問題視されました。

 

直近では、熊本県の女子ハンドボール世界選手権の宣伝バナー(のぼり)が、「手クニシャン」「ハードプレイ」など、わざわざ性的なイメージを想起させる言葉を用いて炎上しました。

女子ハンド世界選手権の宣伝バナー、エロ表現使用で撤去。「手クニシャン」「ハードプレイ」が炎上 | ハフポスト

 

この炎上については、「こんな程度のことで目くじら立てなくても・・・」という論調も多く見受けられましたが、実際に批判をする人がいて、しかもその批判に一定の説得力がある以上、広告・宣伝としてはその批判を理解した上でクリエイティブを検討していかなければなりません。

(批判されること自体がNGなのではないことは、以前の記事にも書いた通りですが。)

 

志布志市、宮城県、女子ハンドボール世界選手権、いずれの場合も「性描写を連想させるような描写」が問題視されたわけです。他にも、ここではいちいち挙げませんが、これを理由として炎上したプロモーションはいくつもあります。

こういった事例を見ると、もはや「性」自体がタブーなのではないか、という印象すら生じるのも無理のないことでしょう。

 

ですが、これの反証となるような事例も存在します。

 

「下ネタ」でも、炎上しないケースもある

日本が誇る高性能コンドームのメーカーで、オカモトという企業があります。

そのオカモトが2017年に、コンドーム使用に関する啓蒙動画を公開しました。

無駄にハイテンション 某ブートキャンプ風にコンドーム装着方法を教える動画が暑苦しい - ねとらぼ

 

6分近くに及ぶ動画の中でひたすら訴求されているのは、コンドームの正しい付け方です。

しかも、途中には軽いお色気ネタを挟みながら、ハイテンションで駆け抜けていきます。

 

多くの広告関係者は、おそらくこのご時世にここまで真っ向から「下ネタ」を扱うことは躊躇いを感じるのではないでしょうか。

コンドーム利用の啓蒙動画を作るとしたら、もっと無難な、教材のようなテンションのクリエイティブに気持ちが傾いてしまう可能性も大きいのではないでしょうか。

 

ですが、事実として、このプロモーションは炎上していません。

動画の再生回数を考えれば、「そもそも誰の目にも触れなかったから炎上しなかった」ということでもなさそうです。つまり、炎上するような動画であれば、とっくに炎上したであろう程度には認知があったはずです。

 

では、なぜ炎上しなかったのか。

日経ウーマンオンラインで、当時、このような考察記事が掲載されました。

コンドーム啓発CMに学ぶ 猛烈炎上しそうでしない鍵 (1/4):日経doors

 

この記事の大意としては「細かいところに配慮しながら、ハイテンションでやりきったから」というような考察がなされていますが、非常に重要な点についてあまり言及されていません。

 

それは「必然性の有無」です。

 

高評価だったケースとして

もう一つ、エロを想起しやすい企画ながらも、炎上どころか高評価を得たプロモーション企画について見ていきたいと思います。

 

2018年に「山田孝之があなたのバストを測定します」という、ワコールによるプロモーションイベントがありました。

山田孝之にバストサイズを測定してもらえる企画が大反響 うっかり胸を触ってしまう可能性も - ねとらぼ

 

イベント告知時点でのネットの反応は「おいおい、大丈夫か」という様子見のスタンスでしたが、イベント当日の様子などが報じられると、炎上どころか喝采を以って迎えられる結果となりました。

このような評価を得るために、イベント当日の主催者側からのTwitterでの発信内容は、エロの要素を打ち消し、いかに面白い雰囲気にするかということに心を砕いている様子が見て取れました。

 

しかしこれも、「面白さがエロさに勝った」という捉え方で語ってしまうと、事の本質を見誤ってしまいます。

このプロモーション企画においても炎上しなかった理由の最もベースとなる条件は「必然性の有無」だったと考えるべきです。

 

「必然性」とは

面白さが突き抜けていれば下ネタでも大丈夫、などという解釈をしてしまうと、

「では、志布志市や宮城県は面白くなかったからいけなかったのか。もっとぶっ飛んでいれば炎上しなかったのか」

という話になってしまいます。これは、完全に本質を見誤った議論です。

 

最もベースとして必要なのは「必然性」です。必然性無くして、どのような要素(面白さやテンションの高さやシュールさなどなど)を乗せようと、無駄です。

 

では、必然性とは何なのでしょうか。

 

オカモトのコンドームは、宣伝すべきものがコンドームです。コンドームは性行為に用いる道具ですから、性行為そのものを否定するような文脈では成り立ち得ません。その時点ですでに「性」について語る「必然性」が存在するのです。

もちろん、必然性だけで炎上しない条件が充足するわけではありません。

例えば、コンドームをたくさん売るために「みんなもっとセックスをしましょう!」などというメッセージを発信したら、おそらく大炎上していたと思います。コンドームの会社がコンドームの正しい利用方法について啓蒙する、という、「性」の必然性と正しいメッセージを兼ね揃えて初めて、受け入れられる最低限の素地が出来上がります。

 

また、「山田孝之があなたのバストを測定します」については、大前提として、下着メーカーが正しいサイズの測り方を啓蒙するという必然性と、メッセージの正しさがあります。それを誰が行うのか、どのように行うのか、をエッセンスとして加えるにあたり、山田孝之さんという超然としたキャラクターが「エロ」を笑いに昇華させる上で大いに役立ったと考えますが、あくまでベースにあるのは必然性と正しいメッセージです。

 

他方、志布志市や宮城県や女子ハンドボール世界選手権では、このような「必然性」や「メッセージの正しさ」は存在したでしょうか。

そうです、ハッキリと皆無です。

 

この手の問題は、議論がジェンダーの問題に置き換えられがちですが、前の記事でも触れとおり、それでは却って本質が見えなくなりがちです。

「必然性」と「メッセージの正しさ」を含まない面白さは、単なる悪ふざけに堕する可能性が高いことを理解する必要があるでしょう。

 

タブー視することの問題点

少し話は変わりますが、「性」に関することを論じた流れで、いたずらにタブー視することに対する疑問が呈されていることについても触れておきたいと思います。

 

生理用品のCMでは、製品の吸収力を示すための映像において、赤い液体ではなく青い液体を使用するのが常です。

これに対して、「経血をタブー視するのはおかしいのではないか」という考えから、イギリスの生理用品メーカーがCMにおいて赤い液体を用い、話題になったことがあります。

生理の血は青くない──業界のタブーを破った英CMの過激度 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

これについては賛否両論がありました。

「生理は恥ずかしいことじゃない!」イギリスの生理用品CMが革新的だと話題に – grape [グレイプ]

生理用品のコマーシャルで使われる月経血は「ブルー」のままでよい - wezzy|ウェジー

 

どちらの意見が正しいか、ということではありません。現時点ではどちらも正しいと考えるのが妥当です。

ただ、プロモーションの企画・制作に携わる方は、このような問題提起がなされ、議論が交わされているということを理解しておく必要があります。

それらを理解した上でタブーに挑戦することと、無自覚にナイーブに素朴にタブーに触れてしまうこととでは、批判に対する事前の想定力が大きく異なります。

(批判に対する事前の想定がなぜ大切なのかはこちらの記事をご参照ください。)

 

この「想定力」の違いが、「炎上」に終わるのか、建設的な「論議」になるのかの違いを生むと言っても過言ではありません。

「炎上」はただの逆プロモーションでしかありませんが、建設的な「論議」を起こせれば、企業としての評価が高められる可能性は十分にあるのです。

 

ステレオタイプという罠

企業がプロモーションやマーケティングを行う場合、年齢、性別、職業、収入、居住地、家族構成などなど、様々な属性で区切って消費者のペルソナを設定します。

その上で、商品企画におけるマーケティングリサーチであれば、ペルソナに合致する人に対して各種調査を行うでしょうし、広告を作るのであれば、ペルソナが共感するであろう(そして、購買意欲を掻き立てられるであろう)内容や表現にするでしょうし、テレビCMを流すのであれば、ペルソナが視聴するであろう時間帯や番組を選んで放映するでしょう。

 

この「ペルソナ」は、企業側として「きっとこういう層が一定数いるはずだ」という前提に基づいて作られます。その根拠となるのは、統計調査であったり、マーケッターの生活者観察の結果の定性的な気付きであったり、様々です。

 

今回はこの「ペルソナ」が、あまり良くない意味での「ステレオタイプ」を生んでいるのではないか、というお話をしたいと思います。

 

「ステレオタイプ」とは

人は日常生活を営む際に、目についた物事1つ1つに対していちいち熟慮するなどということはしません。そんなことをしていたら、何もできないままに1日が終わってしまうからです。

そこで、我々人間が情報をどう処理するかといえば、物事を大雑把な枠にハメて単純化しているわけです。

たとえば、渋谷のスクランブル交差点で大量の人が歩いているのを、1人1人個別に認識するということはせず、「人間がたくさんいる」という概念に単純化して情報処理をします。

常に大量の情報に接している現代人は、この「単純化」によって脳の負担を軽減しているとも言えるでしょう。

 

ですが、この「単純化」は、時に厄介な齟齬を生みます。

その1つが、「ステレオタイプ」という、思い込みによるレッテル貼りです。

 

ステレオタイプについては、以下のリンク先のスライドが非常にシンプルで分かりやすいので、ご覧いただいてからこの先の文章をお読みいただくと良いと思います。

 

心理学ミュージアム 人に対する思い込み(~ステレオタイプと光と影~)

 

ステレオタイプという単純化された思考で反射的に物事を判断するのは、脳の労力が軽くて済むので非常に便利です。このような情報処理の仕方は、おそらく進化の過程で手に入れた適応の一種なのではないかとも思います。

ただ、この「ステレオタイプ」というのは、十分な根拠もなく物事を十把一絡げにまとめてしまうことでもあるので、時に間違った判断を誘発します。先に挙げた「人に対する思い込み(~ステレオタイプと光と影~)」には、そのような間違った判断についての分かりやすい例が挙げられています。

このように、ステレオタイプを前提とした思考には、労力を軽減するメリットがある一方で、本来その枠にハマらない人まで枠にハメてしまうという間違った判断をしてしまうデメリットも存在します。

 

とはいえ、ステレオタイプによる誤った判断・思考を確実に回避するというのは、非常に難しいことでもあります。

なにしろ、ステレオタイプで思考しているときは、当人はそれをステレオタイプだと気付いていないからです。だからこその「思い込み」なわけです。

 

まさにこのようなステレオタイプの罠にハマってしまったのが、先日のトヨタのプロモーションでしょう。

トヨタ、女性に「やっぱり、運転苦手ですか?」→批判殺到でTwitter削除・謝罪 (BuzzFeed)

 

あくまで想像の域を出ませんが、トヨタ側としては、自動車運転に苦手意識のある人をサポートするような機能や装備が豊富にあるということを訴求していきたかったのではないかと思うのですが、その「自動車運転に苦手意識のある人」をペルソナとして具体化した時に「女性ドライバー」と短絡してしまったのではないでしょうか。(あくまで私の想像です。)

ペルソナは顧客像を単純化したものなので、どうしてもステレオタイプに直結してしまう可能性をはらんでいます。

ペルソナ設定はマーケティング活動において無くてはならないものではありますが、プロモーションをする際にはそれにばかりとらわれて、ステレオタイプの罠に陥らないように気をつけなければなりません。

 

なお、本件はどうしてもジェンダーの問題として話題に挙げられる傾向がありますが、それは問題を矮小化したり、認知を歪めたりする恐れがあると私は考えます。ステレオタイプの罠は、ジェンダーの問題だけでなく、人種、国籍、年齢、職業というような属性、さらには、「運動が得意・不得意」とか「性格が明るい・暗い」などの傾向や性格においても同様に生じる問題だからです。

このため本稿では、ジェンダーという観点からは本件の問題を論じることをしません。

 

「ステレオタイプ」の罠を回避するためには

ステレオタイプの何が問題なのかを端的に言うと、

「そうでない人もたくさんいるのに、十把一絡げに枠にハメる」

ということが認知を歪ませ、場合によって差別を生む温床になるからです。

ちょっと考えれば「そうでない人もたくさんいる」ということに気付けるはずなのですが、反射的に思考を単純化することで、そのことに気付けなくなってしまうことがあります。これが「ステレオタイプの罠」に陥ってしまうことの本質なわけです。

では、これを避けるためにはどうすれば良いのか。「思い込み」を「思い込み」であると気付けるようになるためには、どうしたら良いのか。

 

解決法の1つとして、「定義と統計的事実とエセ統計的事実と主張を区別する」という方法があります。

 

「定義」とは、例外なく全てそれに当てはまるものです。

たとえば、「惑星とは何か」と言えば、非常に面倒な定義があり、この定義にハマらない冥王星は惑星ではないとされるわけです。(私の世代は子供の頃、冥王星は惑星だと教えられてきましたが、2006年に惑星ではなくなりました。)

質問5-8)惑星の定義とは? | 国立天文台(NAOJ)

 

次に「統計的事実」ですが、これは「定義」とは異なり、傾向を示すものであるため、個々の状態を一概には言えません。

たとえば、ある学校の数学の平均点が、男子の平均点が女子の平均点より3点高かった、というような場合、「すべての男子がすべての女子より得点が3点高い」ということを表すわけではありません。女子にも高得点は居る可能性もありますし、男子にも得点の低い者が居る可能性もあります。つまり、個々の点数が、必ず女子より男子の方が高いということではありません。

 

少し脱線しますが、実は人間の脳は、定義と統計的事実を区別するのが苦手です。

このため、「男子の平均点の方が女子より3点高い」という話をした場合に、「それはおかしい!男子よりも得点の高い女子もいっぱいいるのに!」という批判が寄せられたりします。もちろん、もし誰かが「男子が常に女子より点数が高い」と定義をしたのであれば、この批判は妥当します。が、統計に対する批判としては妥当しません。

プロモーションを企画・制作する場合は、人間の脳はそういう誤解をしやすいものなのだということを前提として企画・制作することが重要だろうと思います。

 

次に「エセ統計的事実」です。「印象論」という言葉に置き換えても良いかもしれません。

これは、実際に統計調査を行ったり、統計調査結果を批判的に検証したりした成果としての「事実」ではなく、自分の経験の範囲で見聞きしたことの中で印象に残っていることを選択的に「類型化」しているだけ、というものです。

たとえば、「血液型がA型の人は几帳面」というような血液型占いなどはこれに当てはまるでしょう。

また、「昔はそれで正解だったけれど、今は状況が変わっている」という場合も、これと同等と考えるのが良いでしょう。

たとえば、中央省庁がよく用いる「日本の平均的な家族」という概念では、「夫と妻と2人の子供。妻は専業主婦」という家族構成を想定しているケースが多いのですが、バブル期以前の日本ならいざ知らず、このような家族構成は逆にマイノリティとなりつつあるわけで、現状を反映しない「統計的事実」は、もはや「エセ」と言っても言い過ぎではないでしょう。

 

最後に「主張」。

これはもはや、どのような意味においても「事実」ではなく、発言者が「こうであるべきだ」「こうであるはずだ」と思っているだけのことを、あたかも自明の理であるかのように発言するケースが当てはまります。

政治家の失言などでは、このケースが度々見受けられます。

 

この4つは、それぞれ明確に異なるのですが、人間の脳はこれを直感的に区別することを不得意とします。この区別がゴチャゴチャになった結果として、ステレオタイプが横行することになるわけです。

逆に言えば、上記4つの区別をつけることを意識していれば、「ステレオタイプの罠」にハマることをかなりの割合で回避できます。(100%ではないのは、人間という生物の限界です。当然、私も無理です。)

 

前述したトヨタのプロモーションは、「統計的事実」と「エセ統計的事実」の両方の可能性があります。ただし、問題になったツイートだけでは統計的事実について全く触れられていないので、主に「エセ統計的事実」であるという印象を見る者に与えます。このため、ステレオタイプに当てはめた女性差別だ、というような批判を招くわけです。

 

では、例えば、女性が男性に比べて車の運転に苦手意識を持っているというような何らかの「統計的事実」を挙げて、「女性のみなさん、やっぱり苦手ですか」と問いかけたとしたらどうでしょう? 

少なくとも、今回のような批判のされ方は避けられたのではないかと思いますが、では、「統計的事実」があるのに何故わざわざTwitterでアンケートを取るのか、というツッコミを受けそうです。それが致命的な問題かどうかは判断の分かれるところと思いますが、特別な意図が無いのであれば、わざわざ消費者を逆撫でするようなことは避けた方が良いのではないかと思います。

 

もちろん、意図を明示した上であれば、一般の理解を得られやすいとは思います。

たとえば、

「国土交通省の調査結果でこんな結果が出てましたが、トヨタのアカウントをフォローしてくれている人たちに限定した場合にはどうなのか、皆さん興味ありませんか? アンケートにご協力ください。」

とか。

ただ、そこまでしてこのアンケートを取るべきなのかは別な議論が必要でしょう。

 

 

以上、今回はトヨタのプロモーションのみを「ステレオタイプの罠」の具体事例として取り上げましたが、ここ2~3年の間に炎上しているプロモーション案件のかなりの割合が「ステレオタイプの罠」で説明可能なので、広告・宣伝に携わる皆様には是非ご注意いただければと思います。

 

余談

トヨタの謝罪コメントにおいて

「女性の運転技量が男性よりも劣るかのような不適切な表現がございました。」

と、具体的に問題点に言及している点は高い評価を受けるべきと考えます。問題に正しく向き合っているという姿勢が明確に伝わってきますので、他の企業も見習うべきでしょう。

 

余談その2

先に述べたとおり、本稿ではジェンダーの観点をあえて外しました。

が、広告におけるジェンダーに関するステレオタイプ問題は、一昨年の時点でこんな動きもあったので、念頭に置いておくのが良いでしょう。

広告におけるジェンダーに基づくステレオタイプを無くしていく共同イニシアチブ:アンステレオタイプ・アライアンス | UN Women – 日本事務所

 

 

参考記事:

ネットに溢れる「ステレオタイプ」と「バイアス」ここが違います(水越 伸) | 現代新書 | 講談社(1/4)

レピュテーションリスクには、ランクがある

本ブログは、企業にとってのソーシャルメディアにおけるリスクについて掘り下げて考察することをテーマにしています。

このため、企業のネット炎上も重要な話題の1つなのですが、ひとくちに企業のネット炎上と言っても原因はいろいろあります。

今回は、理由によっての炎上の深刻さ(重篤さ)の違いについてお話していきたいと思います。

 

ネット炎上の深刻さには、パターンによって異なる

ネット炎上の対象になることは、ほとんどの企業が恐れています。(恐れていないのは、「炎上上等」と煽っていくスタイルのごく一部の企業だけでしょう。)

ですが、闇雲にネット炎上を恐れても仕方ありません。なぜなら、ネット炎上というのは問題の原因そのものではなく、企業が抱える問題の表出の仕方の一つに過ぎないからです。つまり、企業はネット炎上そのものを恐るのではなく、ネット炎上の原因となっている、企業が抱える問題そのものの方を恐るべきですし、積極的に対処・改善すべきです。

 

その上で、正しくネット炎上を恐れるためには、その原因となっている問題の質や種類による重篤さの差を理解しなくてはなりません。

 

よくあるネット炎上のパターンをこの「重篤さ」の軽い方から挙げると、

 

ランク1:企業の商品の瑕疵

ランク2:プロモーションや公式アカウントでの表現の問題

ランク3:企業の姿勢や体質の問題

ランク4:企業の事業やビジネスモデルそのものの問題

 

と、おおざっぱに4つのランクに分けることができます。

これは、分かりやすく「ネット炎上」という観点から論じていますが、これはそのままレピュテーションリスクという言葉に置き換えても良いでしょう。

 

以下でそれぞれのパターンの概要について説明していきます。

 

 ランク1. 企業の商品の瑕疵

食品メーカーで言えば異物混入、家電メーカーで言えば不良品のようなケースを想定しています。

こういった、商品に瑕疵が発生することを良しとする企業はまず無いでしょう。

 

企業側の対応としては、瑕疵があれば、それが個別のケースであったのか、それとも生産ライン全部の問題であったのかの切り分けをおこなった上で、商品の返品交換に応じたり、自主回収やリコールを行ったりします。

その際、もし自主回収やリコールといった事態に発展したら、企業の経済的損失は莫大なものになります。

ですが、商品の瑕疵だけを原因とするネット炎上というのは、ほぼ発生しません。もちろん、瑕疵があった旨の情報は拡散するかもしれませんし、中には面白がって揶揄するようなことをネットに書き込む人もいるでしょうけれど、商品の瑕疵に目くじらを立てるのはその商品を購入した人だけです。このため、レピュテーションという観点から言えば、禍根を残すことは比較的軽度です。

むしろ、企業が誠意ある対応を行えば、逆に信頼感が上がるので、レピュテーションの向上に寄与する場合すらあります。

 

しかしながら、商品の瑕疵に対する企業の対応に無礼や欺瞞があれば、問題は「商品の瑕疵」に止まらず、一気にランク3の「企業の姿勢や体質の問題」に重篤さが跳ね上がります。

 

たとえば、リコールなどは、瑕疵発覚後迅速に対応すれば炎上することはありませんが、リコール隠しなどをおこなって2年後に発覚などすれば、完全に「会社の姿勢や体質の問題」を原因として炎上し、そのブランドイメージに対するダメージは長らく尾を引きます。

 

ランク2.プロモーションや公式アカウントでの表現の問題

企業のプロモーションが炎上するパターンとして、炎上マーケティング狙いでもなく、誰かを揶揄する意図もなく、単に面白いプロモーションや、顧客の痛みに寄り添うようなメッセージを志して裏目に出るというパターンが度々あります。(本ブログでも度々取り上げています。)

このようなケースはあくまで表現の問題ですので、表現が至らなかったことを反省し謝罪すれば、問題が大きくなることはありません。

もちろん、プロモーション自体を取りやめるなどした場合、せっかく投下した費用が無駄になるので、企業にとっても無痛ということではないと思います。が、謝罪後もダメージを引きずる、ということを過剰に恐れる必要はありません。

 

ただし、「謝ればいいんでしょ?」というような開き直りや、そもそも炎上マーケティング狙いであることが透けて見えるような企画の場合、「表現」の問題ではなくなってしまい、レピュテーションリスクはランク3の「企業の姿勢や体質の問題」にランクアップすることになります。

 

ランク3.企業の姿勢や体質の問題

人間に例えると、仕事などでミスをしてしまった場合に、個別のミスについて怒られたり叱られたりしている段階が、前述したランク1とランク2です。これに対して、全人格的に「おかしいんじゃないか」と言われてしまう段階がランク3です。

 

個別のミスの話に止まっているうちは、「次から注意しろ」で終わるのですが、そもそも人格的に「次も同じことをするだろう」とみなされると、根本的な信頼を失ってしまいます。

レピュテーションにおいて、「次は同じ失敗をしないだろう」と思ってもらえるのと、「どうせ次も同じ失敗するんだろ?」と思われてしまうのとでは、大きな隔たりがあります。

この「人格」に当たる部分が、企業でいえば会社組織としての「姿勢」や「体質」ということになります。

 

「結局こういう会社だから、信頼できないよね」というレピュテーションは、企業が商売を続けていく上で最も避けなくてはならないものですが、そのような負のレピュテーションを生んでしまった原因が、何か事が起こった際の企業としての対応の不誠実さであったり、隠蔽や欺瞞などであったりした場合、それを挽回するような画期的な何かが起こらない限りは、その不信感が続きます。場合によっては不買運動にまで発展するケースが発生するのも、この「ランク3」からです。

 

なお、これは、ソーシャルメディア時代特有のことではなく、20世紀から同様の構造は存在しました。たとえば、かつての雪印乳業製品による集団食中毒事件などはその典型でしょう。

当時と現在で異なるのは、そのレピュテーションを広める担い手が、20世紀にはマスコミだけだったのが、今はソーシャルメディアも大きく寄与するようになった、という点だけです。

 

ランク4.企業の事業やビジネスモデルそのものの問題

ランク4の「企業や事業のビジネスモデルそのものの問題」は、ランク3の「企業の姿勢や体質の問題」に包含されると考えることもできます。それをわざわざ「ランク4」と一段高い扱いにしたのには理由があります。

「姿勢」や「体質」といった場合、漠然としているケースもあるため、非難する側の矛先も鈍るケースがあります。

しかしながら、それが、特定の事業やビジネスモデルといった具体性を帯びた場合、非難の内容もまた具体性を帯び、力を持つことになります。しかも、その事業やビジネスモデルがそのまま続けられる限り、非難が止むことはありません。つまり、事業やビジネスモデルの修正や転換が強く求められる事態となります。これが、ランク3とランク4の大きく異なるところです。

 

ランク4の典型として、PCデポのケースが挙げられるでしょう。

 

2016年に、PCデポ店頭での顧客との契約の仕方を問題視する告発がTwitterに投稿され、それを人気ライターが拡散することで広く知られるところとなりました。

PCデポ 高額解除料問題 大炎上の経緯とその背景(ヨッピー) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

この後も同様の告発投稿がソーシャルメディア上に多数アップされ、既存顧客の解約が増加するなどの直接的な影響が出ました。

PCデポ、4日遅れで決算発表 解約問題尾を引く :日本経済新聞

 

この影響で、販売促進活動の自粛や店舗の新規出店や改装の延期などが発生し、20173月期、20183月期と2期続けての経営不振が続くなど、経営に大きな影を落としました。

2018年3月期 決算説明 株式会社ピーシーデポコーポレーション

20193月期は、第三四半期までの決算を見る限り、ゆるやかな回復傾向にあるようです。)

 

このように、事業やビジネスモデルそのものが問題視されると、その事業やビジネスモデルそのものを修正・転換しない限り謝罪に説得力も生じないため、立ち直りに時間がかかってしまいます。また、修正・転換をしてもそれがビジネスとして上手くいく保証もありません。

こうなると、非常に苦しい経営環境の中で戦わなければならなくなりますし、企業の体力が無ければ倒産や廃業といった可能性も無視できません。

 

謝罪から納得感までのリードタイムの問題として

ここまで、レピュテーションに関するリスクの重篤さを4つのランクに分けて説明してきましたが、この「重篤さ」とは、結局、謝罪をしてから世間が納得するまでのリードタイムの問題であるとも言えます。

 

ランク1と2については、「次から気をつけます」と企業が迅速に対応すれば、受け手も「それなら次から気をつけてね」で終わる話です。

ランク3は、「次から気をつけます」と発表しても、「前にも同じことやってたじゃん」とか、「そんな態度で本当に改善できるの?」などといった疑いの眼差しを向けられるわけですから、納得感を得られるまで時間がかかる可能性が生じます。

ランク4に至っては、「次から気をつけます」と発表したところで、問題になった事業をそのまま続けている限り「全然反省してないじゃん!」という総ツッコミを受けることになりますので、いったん事業を止めなければならず、経営は相当苦しいことになります。

 

私の個人的な思いとしては、明るみに出た時に消費者からの納得感が得られないようなことは慎むべきだと考えています。

それは、正義や倫理の問題でもありますが、それ以上にソーシャルメディア時代においては、企業があまり明るみに出して欲しくないことでも(むしろ、出して欲しくないことだからこそ)、隠し続けることは不可能だからです。

ソーシャルメディアでは、不正や欺瞞に対しては必ず誰かが声を上げます。企業は、声を上げられて困るようなことをするべきではないというのが、経済合理性の観点からも妥当する時代になったと考えるべきでしょう。

 

 

【ソーシャルリスクマネジメント体制を作れ!】その4 従業員の不満に着目せよ

「ソーシャルリスクマネジメント体制を作れ!」も第4回となりました。

 

前回は、顧客の声に耳を傾けて事業を改善する、ということを述べましたが、今回は、ソーシャルメディア上での「従業員の声」に耳を傾けるということをお話ししたいと思います。

 

なお、本稿は、本社の他に全国(ないしは、世界)に支社や支店、営業所、工場など、複数の地方拠点が存在するような企業を想定して書いています。

また、主に内部統制関連の課題にフォーカスした内容です。

 

内部統制上の問題に向き合う

昨今はブラック企業に対する強い忌避感から、パワハラ、セクハラ、サービス残業などの風評が立つと、企業として大きなダメージを負うことになりますし、場合によっては労基署による指導や従業員による訴訟に発展する可能性もあります。

そのような社会背景を踏まえ、多くの企業が内部統制の強化を試み、従業員の労働管理(残業時間の超過が発生していないか、残業申請をせずに残業していないか、パワハラやセクハラなどのハラスメント問題は発生していないか、等々)に苦心していることと思います。

 

また、ガバナンスの問題は労働問題だけではありません。

内部情報の流出、内部告発といった、労働問題だけでないリスクも存在します。

 

企業の経営陣や管理部門においては、これら労働問題や内部告発などが自社に存在しているか否か以前に、反射的に「仮に存在していたとしても表に出ないようにしたい」という意識が先立つでしょう。

しかしながら、それは無理なことです。なぜなら、もしそれが存在するなら、ソーシャルメディア時代においては隠しようが無いからです。(ソーシャルメディア時代のリスクマネジメントは、このリアリズムを受け入れるところから始まります。)

 

たとえば、従業員にソーシャルメディアの利用を禁止しようとしても、それを徹底する方法はありませんし、そもそもプライベートにおいてソーシャルメディアの利用を制限することは労使契約の妥当性を欠くことになるでしょう。

また、会社に関連することに限定してソーシャルメディアで発信しないよう就業規定を設けたとしても、それが徹底される保証は全くありません。仮に、Twitter上で自社の従業員であることが疑われる投稿を発見しても、その投稿をした実際の従業員個人を特定することができるかは簡単ではありません。(プロバイダ責任制限法に基づく発信者情報開示請求が認められなければ、過去の投稿内容をたどって手がかりを掴むしかありません。)

 

このような点を考慮した場合、「発信するな」という教育をするよりも、そもそもガバナンス上のリスクになるような状態(パワハラ、セクハラ、サービス残業、過重労働などなど)が発生しないように管理し、問題の根本解決をすることが先決ではないでしょうか。

 

本社から離れている拠点でのガバナンスを如何にせん

これらの問題の根本解決、つまり、ガバナンスの行き渡った状態を実現しようとした場合、ガバナンス担当者の直接目の届く範囲であれば比較的容易です。が、遠方にある支社や営業所、工場などでそれが徹底されるようにするにはどうしたら良いか、心配のタネは尽きません。

場合によっては、目が届かないのをいいことに、ガバナンスを軽視した状態が日常化している支店があるかもしれません。そのような場合には、実態を内部監査で発見することも意外に難しいものです。

 

では、どうすれば良いのか。

 

例えば、匿名で発信できるインターネットサービス(主にネット掲示板)で、自社に関してどのような話題が書かれているのかを調査しましょう。

その結果として、虚実ないまぜの噂や暴露話などが見つかる場合があります。社内の人間が書いているとしか思えないような内容も見つかることがあるでしょう。それらの投稿自体をどう処置するのか(放置するのか、削除依頼を出すのか)などは弁護士にご相談いただくのが良いと思いますが、それと併行して、その情報をインプットとして活用するということも視野に入れてみてはいかがでしょうか。

 

もちろん、匿名掲示板の投稿などは虚偽も多く、そのまま鵜呑みにはできません。

ですが、あまりに特定の支店についての不満や告発が多いようであれば、その支店において何らかの問題が生じている可能性も捨て切れません。(もちろん、火のないところに煙を立てるヤカラも居ますので、くれぐれも鵜呑みにしないことが重要です。)

 

実は以前、ある食品メーカーの商品の異物混入問題によってネット炎上が発生した際、そのメーカーの工場がいかに不衛生であるかの暴露話が、炎上が発生する半年前に匿名掲示板で書き込まれていたことが発覚して話題になったことがあります。

その書き込みが真実に基づくものであったか、それともデマだったのがたまたま実態に符合したものであるのか、確認のしようは有りません。ただ、このように、社内に問題があれば匿名掲示板に書き込まれるということは発生しがちなことです。

 

匿名掲示板で自社に関する暴露話を発見した場合、これを

「誰が書き込んだんだ、けしからん!」

と犯人探しをする前に、それを機に、暴露されてしまうような宜しくない実態を改善するということに労力を向けるのが内部統制上も事業上も有意義ではないでしょうか。

 

調査の結果、その書き込みが完全にデマであることが判明した場合には、投稿者を炙り出して毅然とした態度で臨むことも重要です。(具体的にどのように「毅然と」するのかについては、ネットトラブルに強い弁護士にご相談いただくのが良いと思います。)

 

 

 

さて、今回までは、リスクマネジメントに資する情報をソーシャルメディアから収集する際の着眼点について述べてきました。

次回からは、ソーシャルメディアから得た情報を、どのようにリスク評価すべきなのかについて述べていきたいと思います。