ソーシャルメディア時代のリスクマネジメント

ソーシャルメディア関連を専門とするリスクコンサルタントが、企業のリスクマネジメントについて書いています。

「ネット炎上」と「ネットリンチ」は同じ物?

前回は、非難・批判の限度を超えた攻撃的な書き込みがネット上にはしばしば存在することを、最後に述べました。

今回はこの「限度を超えた攻撃的な書き込み」について理解を深め、「ネット炎上」と一緒くたに論じられがちなこのような行為についての正しい対処についてお話ししていきたいと思います。

 

ネットの書き込みでの執拗な攻撃

ネット上で、ある特定の人に対して不特定または多数の人が執拗に攻撃し、人格的に追い込むなどの行為がしばしば見受けられます。

攻撃を受ける人がなぜそのような攻撃を受けることになってしまうのかといえば、その人の実際の言動が原因となる場合もありますし、事実無根の噂話が発端となることもあります。

 

「実際の言動に基づく場合」の例を挙げれば、バイトテロの当事者に対する攻撃などは分かりやすいでしょう。

どこかの店舗のスタッフがおふざけのレベルを超えるような不適切な行為をネットに書き込むのがいわゆる「バイトテロ」です。(バイトテロそのものに関する詳細は、こちらの記事をご参照ください。)

 

その不適切行為の当事者がネット上で非難・批判の嵐にさらされて「ネット炎上」に至るわけですが、その際、非難・批判の程度を超え、「二度と社会復帰できなくしてやる」という謎の執念に駆られて執拗に対象者を攻撃したり、場合によっては素性まで調べ上げて個人情報を晒しあげたり、といったことを行う人もいます。

 

他方、「事実無根の噂話が発端」となった事例として有名なのが、タレントのスマイリー・キクチさんのケースです。

スマイリー・キクチさんは長期にわたって、殺人犯であるというデマをネット上で多数書き込まれ続けました。(詳しくはスマイリー・キクチさんの著書『突然、僕は殺人犯にされた』を参照してください。)

このケースでは、ネット炎上と言えるほどの大量の書き込みが短期間になされたということはなく、長年にわたってネチネチと、ネット掲示板やブログのコメント欄などにパラパラと書き込まれ続けたという特徴があります。

つまり、ネット上での執拗な人格攻撃は、必ずしもネット炎上を伴うわけではありません。このため、ネット炎上と人格攻撃とは、分けて考えないと対策を誤ります。

 

本稿では、このようなネット上での執拗な人格攻撃のことを「ネットリンチ」と呼びます。

 

「ネットリンチ」とは

「リンチ」は、日本語では「私刑」などと表すこともあります。文字通り、司法を経ずして私的に断罪し制裁を加える行為を指します。

ただ、私的な制裁といっても、リンチ(=私刑)の場合には集団で寄ってたかって行うという意味合いが含まれますので、「子供を殺された親が、殺人犯に対して一人で敵討ちをする」というような、単独で行う行為は含まれないと考えるのが妥当です。

 

また、例えば複数人の強盗グループが金品を強奪する目的で通行人に対して寄ってたかって暴力行為を行なったとしても、通常「リンチ」とはいいません。なぜなら、先にも書いたとおり、「リンチ」とは「制裁」という目的を(主観的には)伴うものですので、特定のコミュニティにおけるルールを逸脱した者を罰する行為であるという側面が付随するものだからです。(それが正当な行為か否かは別として。)

 

加えて、「リンチ」には通常、物理的な暴力が伴いますので、村八分のようなタイプの制裁については「リンチ」と表現するのはあまり一般的ではありません。(メタファーとして「リンチ」と表現することはあるかもしれませんが。)

 

このような特徴を踏まえた場合、「リンチ」という言葉を口語的に表現すると、

「法律に関係なく、コミュニティ内の論理でコミュニティからの逸脱者を寄ってたかってボコボコにする」

と定義できるでしょう。

 

なぜわざわざ「ボコボコにする」のかといえば、逸脱者を逸脱したまま野放しにすると、コミュニティの秩序が保たれないと考えるからです。その「秩序」とは、法律に定められる法治的秩序のことではなく、リンチをする側が考える「オレたちのコミュニティのルール」に基づく秩序です。

 

かつてアメリカの公民権運動が盛んであった頃、白人至上主義者が黒人に対してリンチを行なっていたのは、まさに白人至上主義者にとっての「オレたちのコミュニティのルール」に基づく秩序を脅かす者を制裁する(=ボコボコにする)ことであったわけです。

「同じ町」「同じ国」に住んでいる(=同じコミュニティに属している)者が、リンチする側が考える「オレたちのコミュニティのルール」に反する価値観を有しているということを「逸脱」と捉え、「制裁」するのです。

 

このような構図は、「ネットリンチ」でも同じです。「同じ国」「同じ日本語ネット空間」に存在している逸脱者をネット上でボコボコにするのがネットリンチです。

ただし、ネットリンチの場合は物理的な暴力が行われるのではなく、ネット上の書き込みが非物理的な暴力として為されます。これは、「言葉の暴力」である誹謗中傷や脅迫といったものだけでなく、個人情報を晒すなど、対象者の身の安全が間接的に脅かされるような情報を書き込むといった行為も含まれます。

 

「ネットリンチ」は情動のバグである

「リンチ」も「ネットリンチ」も、「逸脱」の程度と「制裁」の程度がバランスしないケースが多々あります。

端的に言えば、

 

  • こんな程度のことで、なぜこんなにボコボコにするのか?
  • ホントかどうかも分からないことなのに、なぜ既定事実と考えるのか?
  • 対象者がホントに逸脱者なのか?

 

といった疑問符の付くケースが非常に多いわけです。

先に挙げた白人至上主義者による黒人リンチも、リンチの対象者が公民権運動への賛同者かどうか、つまり、「白人至上主義」という「オレたちのコミュニティのルール」から相手が逸脱しているかどうかを見極めず、ただ黒人であるというだけで「制裁」していたわけです。

 

参考:黒人リンチで4000人犠牲、米南部の「蛮行」 新調査で明らかに 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

これは、当然ながら、理性的な判断の結果とはとても言えません。

なぜこのような「制裁」感情(処罰感情と言い換えても良いでしょう)が生まれてしまうのでしょうか。

 

心理学者で哲学者のジョシュア・グリーンは著書『モラル・トライブズ』の中で、「情動」が処罰感情に影響を与えることについて、以下のように述べています。

 

彼ら(筆者注:デボラ・スモールとジョージ・ローウェスタイン。心理学者)は、罰の研究でも同様の行動を報告している。彼らは被験者に、協力的もしくは利己的にふるまうことができるゲームを行なわせた。ゲームの後で、協力的だったプレーヤーには、利己的なプレーヤーを罰する機会が与えられた。(中略)罰の厳しさは情動反応の強さに比例した。(第10章)

 

ここで「情動」とされているものは、以前の記事で取り上げたダニエル・カーネマンが「システム1」、ジョナサン・ハイトが「象」と呼んだものです。平たく言えば「直感」です。

この「情動」が処罰感情に影響を与えるため、処罰の妥当性や厳しさはロジカルに判断されるとは限りません。

 

ここに、人間の持つ脳神経の特性としてのシャーデンフロイデを考え合わせれば、リンチやネットリンチにおける過剰な処罰感情は、情動のバグ(むしろ仕様かもしれませんが)による処罰感情の暴走と考えるべきでしょう。

暴走なので、ハタから見たときに合理性を見出せないのは当然と言えます。(このあたりは、次回さらに掘り下げたいと思います。)

 

他方、企業を対象にした「ネット炎上」での非難・批判については、「情動」だけでなく「理性」(「システム2」「象使い」)に相当するものも多く見受けられます(もちろん「理性」だけなわけでなく、玉石混交ですが)。これこそが、「ネット炎上」と「ネットリンチ」の一番の違いと言えるでしょう。

つまり、企業側は、どこまでが受容すべき非難・批判で、どこからが「ネットリンチ」なのかを見極めなければならないわけです。

 

この見極めができないと、いざ自社がネット炎上の対象となった際に「ネットリンチ」を受けているという誤った認識を持ってしまい、一方的な被害者意識に陥ってしまう可能性があります。

事実、実際に炎上した企業のご担当者様から、「なんでこんなに叩かれるのか、分からない」という戸惑いの声を伺うことが度々あります。

このような認識の齟齬は、ネット炎上を鎮火させるにあたっての大きな障壁となるだけでなく、再びネット炎上を起こしてしまうリスクを温存することになりますので、改めなければなりません。

 

 

今回はここまでとして、次回は、ネットリンチをする人の実像と、その対策についてより深く掘り下げていきたいと思います。

 

 

なお、蛇足ではありますが、私自身は、ネット炎上は場合によって社会に資することもあるだろうと思う一方、ネットリンチは有害なだけであると考えています。

本ブログはあくまで、企業のリスクマネジメントに資するという観点から書いていますので、「社会に物申す」というようなスタンスは取っておりません。このため、リンチやネットリンチという唾棄すべき行為についても務めて淡々と記載しております。

リンチ、および、ネットリンチを肯定する気持ちは微塵もありませんので、お汲み置きください。

 

 

「ネット炎上」において「拡散」は必然なのか

前回は、ネット炎上における「拡散」がどのような経路で発生するのかについてお話をしました。

今回は、「炎上」と言われる現象においては「拡散」を伴うものと伴わないものがあり、その違いはどうして生じるのかについてお話していきたいと思います。

このことを前提とせずに何となく「ネット炎上」というものを一括りにしてしまうと、ネット炎上の本質が捉えきれず、結果として対策や対応が的外れになってしまうので、非常に重要なトピックだとご理解ください。

 

Twitterでの「拡散」を伴わないネット炎上

前回の記事でも簡単に触れましたが、ネット炎上においては、2011年を境にTwitterでの「拡散」という現象が一般化しました。

それまでのネット炎上は概ね、

 

  1. 2ちゃんねるにスレッドが立ち、叩かれる。
  2. 攻撃対象となる人が開設しているブログのコメント欄に大量の非難・批判が寄せられる。

 

の2パターンだったため、「拡散」という現象そのものが成り立ちにくかったわけです。

(いろんな人のブログで記事にされる、という、マイルドな「拡散」は存在しましたが。)

 

この2パターンのうち、「1. 2ちゃんねるにスレッドが立ち、叩かれる。」については、2014年の転載禁止措置や運営上のトラブルなどに伴い、2ちゃんねる(現在は名称が変わり「5ちゃんねる」)自体、現在はかつての勢いが失われています。

2000年代には「炎上といえば2ちゃんねる」でしたが、現在ではそのような文脈からは大きく離れた存在であることを、対策の際の念頭に置くべきでしょう。(ただし、ネットのリスクマネジメントにおいて全く無視して良いということではないので、注意は必要です。)

 

他方、「2. 攻撃対象となる人が開設しているブログのコメント欄に大量の非難・批判が寄せられる。」については、主に芸能人ブログなどで今日でも発生しています。

たとえば、元モーニング娘。の辻希美さんは、自身のブログに何を書いても批判コメントが寄せられることでよく知られており、三日と空けずにネットメディアが報じています。

辻希美、スーパーで買い物撮影して大炎上「禁止されてるのに非常識」 - デイリーニュースオンライン

辻希美“選挙に行った”アピールで批判されるも、以前から習慣だった 思い出されるモー娘。のヒット曲 - エキサイトニュース

 

このように、コメント欄に大量の非難や批判が寄せられる現象を「コメントスクラム」と呼びます。

 

なお、「コメントスクラム」が発生してネットメディアに上記のような記事が掲載されても、「拡散」が発生するとは限りません。コメントスクラムはあくまでコメント欄というローカルな場所においての現象であり、Twitterなどで非難・批判の論調が「拡散」するかどうかは全く別の問題です。

辻希美さんのブログについても、多くの人は芸能ゴシップの1つとして生暖かく見守っているだけなので、ネット炎上における「拡散」に当たる現象はほぼ発生しません。

このように、「拡散」という現象が伴わずコメント欄が荒れるだけの現象についても「炎上」という言葉で表現するのが現在の用例として一般的ですが、「拡散」を伴う炎上と伴わない炎上では、企業における実務の面から考えると全く異なる対処が必要ですので、区別して考える必要があります。

 

企業の実務として考えるコメントスクラム

ちょっと前までは、公式ブログでコメント欄を設けていた企業も一定数ありましたが、現在はそれに代わって、Facebookページ、YouTube公式チャンネル、InstagramTwitterの公式アカウントなどを設けている企業の方が圧倒的に多数です。これらにも、コメント欄がありますし、そこに非難や批判が書き込まれることもあるでしょう。

もちろん、単に非難や批判が書き込まれるだけならば、それは「炎上」とは言いません。おそらくほとんどの企業で公式アカウントを開設する際に、個別のコメントに対してどのように対応するかのルールを定めていると思いますので、そのルールに則って粛々と対応することになると思います。

問題は、そのような個別の対応の範囲を超えて、コメント欄に大量の非難や批判が寄せられる「コメントスクラム」の状態になった時にどうするのか、ということです。

 

コメントスクラム状態になった場合に、まず確認すべきことは、その非難や批判がTwitterで「拡散」に至っているかどうかです。

先に例として挙げた辻希美さんのブログのように、コメント欄では非難の嵐でもTwitterでは一切波風が立っていない、ということもあります。「拡散」の有無によって、企業側としての対応は異なります。

 

ケース①:Twitterでの「拡散」が伴っていない場合

 

コメントスクラムだけ発生して、「拡散」が発生しないという状況は、芸能人のブログやTwitterアカウントなどではよく発生するのですが、企業アカウントについてはあまり発生しません。ただ、全く発生しないわけではないので、可能性の1つとして念頭に置いておく必要はあります。

例えば、水族館や動物園などのような生体展示を行う施設の公式アカウントに対して、ある時一斉に動物愛護関連のコメントが数千、数万単位でつけられたりすることがあります。そのようなとき、もちろんTwitterで「水族館(or 動物園)は狭い場所に生き物を閉じ込めていてけしからん!」という話が「拡散」しているかというと、平常時と変わらない(皆無ではないけれど、普段より急激に増えているということでもない)状態であったりします。

 

このような場合には、コメントスクラムの内容が対話可能な種類の話であるかどうかを見極め、触れずにおくのか、当該公式アカウントで何らかの声明を発表するのか、それともコメントスクラムのコメントを非表示にする(プラットフォームによってそういった機能の有無が異なります)のかを検討しなければなりません。

いずれにしても、そこでの対応を誤った場合にはTwitterへの「拡散」に発展する可能性がありますので、ネガティブな「拡散」が生じないように配慮することが重要です。

 

なお、現在のところTwitterのリプライは、リプライをつけられた側では非表示にすることはできないのですが、それが今年の6月から可能になる予定である旨が発表されたようです。

Twitterが不要なクソリプを自分で隠せる「ツイートを隠す」機能を2019年6月にもリリースすると予告 - GIGAZINE

 

また、「拡散」を伴う場合でも、以下の2パターンに分けて考える必要があります。

 

ケース②:Twitterでの「拡散」が先にあって、その後にコメントスクラムが発生している場合

 

例えば、Twitter上で特定の企業の何らかの言動に対しての非難・批判の声が高まり、いわゆる「炎上」に至った場合、それに関して企業側に直接的に考えを問う人が一定数現れます。

それが電話で行われる場合は「電凸」と呼ばれるわけですが、電話やメールといった手段でなく、企業の公式アカウントに対するコメントという形で行う人もいます。Twitterでの「拡散」が先にあって、その後にコメントスクラムが発生している場合、そのような状況が典型として考えられます。

 

このような場合、コメントスクラムはそれ自体が「炎上」なのではなく、「炎上」を構成する一部の現象でしかありません。このため、コメントスクラム自体をどうするか、ではなく、何が原因で炎上が発生しているのかを見極め、全体像を把握して対処に当たらないといけません。

 

ケース③:Twitterでの「拡散」よりも先にコメントスクラムが発生している場合

 

今どき非常に稀なケースですが、コメント欄が「コメントスクラム」と呼ぶべき状態にまでなってから、それが元となって「拡散」が生じる、ということもあります。

例えば、Facebookページ上に企業がアップしたコンテンツに倫理上の重大な欠陥があり、フォロワーから多数の批判が寄せられたにもかかわらず企業側が放置した場合などは、「直接言っても聞き入れないなら、拡散させてやる」とユーザーが考え、Twitter上に「【拡散希望】」として告発する、というような状況が典型として考えられます。

ただ、それで本当に「拡散」に至ってしまうような致命的な問題を、コメント欄で非難・批判されても放置するような企業は、炎上に対して向き合う姿勢がそもそも出来ていないと思いますので、事ここに至って慌てたとしてもおそらく処置のしようが無いと思われます。(なので、ここでは論を省きます。)

 

受忍すべきでないコメントスクラムについて

ここまでは、コメント欄に寄せられたコメントスクラムの内容が当を得たものであり、企業側としても傾聴をすべきもの(実際に受け入れるかどうかは別として)であることを前提に論を進めてきました。

が、なかにはただの嫌がらせ目的であったり、事実無根なデマであったり、というコメントスクラムも存在します。人によってはたくさんのアカウントを1人で利用し、多数の人が非難・批判を書き込んでいるかのように装う場合もあります。

(参考:平子理沙が中傷被害「自殺しろ」ブログに悪質投稿 - 日刊スポーツ

 

このような、非難・批判の限度を超えた行為に対しては、場合によって企業は毅然とした対応をしなければなりません。

もちろんこれはコメントスクラムに限定した話ではなく、ネット上の書き込み全般について言える事です。

それを考える上で、前提として「ネットリンチ」という概念を理解しておくと整理がしやすいので、次回は「ネットリンチ」についてお話ししたいと思います。

 

今回はここまで。

 

イベント告知:日本広告学会 クリエーティブフォーラム2019

直前の告知となってしまいましたが、511日(土)に日本広告学会のクリエーティブフォーラム2019にて、WOMマーケティング協議会メソッド委員会名義でポスター発表を行います。

日本広告学会 クリエーティブフォーラム2019 開催概要

 

当日は私も発表者として参加しております。

 

 

発表内容は、WOMマーケティング協議会メソッド委員会の独自調査である、インフルエンサーマーケティング実態調査の結果と分析についてです。

 

参照:

広告主と一般消費者にインフルエンサーマーケティング実態調査を実施 - WOMマーケティング協議会

 

インフルエンサーマーケティングという言葉が広告・マーケティング関係者の間に定着して久しい昨今ですが、実際にそれが広告主や消費者、さらにはインフルエンサーと言われる人々にどのように受容されているのか、という実態調査の結果について発表いたしますので、ぜひお立ち寄りください。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

現象としての「拡散」

以前の記事で、人はなぜ「拡散」をさせるのかについて、心理的動機の面から掘り下げるお話をしました。

ただ、その記事においては、「なぜ」については掘り下げましたが、「どのように」についてはほとんど触れていません。

今回は、その「どのように」について掘り下げることで、現象としてのネット炎上についてお話ししていきたいと思います。

 

「拡散」はTwitterで起こる

「拡散」という言葉がどのような現象を指すのか。

簡単に言ってしまえば、物事がネット上で多くの人の口づてに伝播することを指します。

「口づて」と言っても、ネット上での出来事ですので、実際に口頭で発した言葉を伝言ゲームのように伝えていくわけではありません。「投稿」「記事」といった形で文章や画像や映像として表現されたものが、シェアやリツイートといった機能を使って不特定多数に対して転送されていく、というのがネット上で言うところの「拡散」です。

 

もちろん、シェアやリツイートといった機能を使用しなくても「伝播」という現象は成り立ちます。

たとえば、誰かが書いたブログを見て、そのブログを見た人がそれを引用しつつ自分でもブログに記事を書く、というのも、立派な「伝播」です。(今となっては懐かしい、ブログのトラックバックという機能は、元々はこのような「伝播」の連鎖を可視化するための機能でした。)

ただ、シェアやリツイートといった機能を使うことで、「伝播」のハードルが非常に低くなるのは間違いありません。

 

ただし、このような「伝播」が「拡散」に至るには、もう1つハードルがあります。

それは、多くの人がその「シェア」「リツイート」された記事や投稿にアクセスできる必要があるということです。

これには少し解説が必要かもしれません。

 

例えば、Facebookで何らかの記事をシェアした場合、その記事を目にする人は基本的に、記事をシェアした人と「友達」として繋がっている人だけです。それも、確実に「友達」のタイムラインに表示されるわけではなく、Facebook独自のアルゴリズムによって、表示されない可能性も高いです。また、他者が当該投稿にアクセスする動線は、基本的にタイムラインのみなので、タイムラインに表示されなければ、記事自体存在しないのと同然で、シェア以前の問題です。

しかも、「友達」がさらにその記事をシェアしようとしても、記事の公開範囲が「友達」までに設定されていた場合、シェアできません。

このように、Facebookの仕様は非常に「伝播」しにくいものになっています。

 

Instagramの場合は、サードパーティのアプリを使用しない限り、Instagram上で見かけた投稿を自身のタイムライン上で「シェア」することはできません。(正確には、ストーリーズにはシェアすることが可能ですが。)

このため、Instagramも「伝播」しにくい仕様になっています。

 

これに対して、Twitterは、リツイートという機能が用意されており、1クリック(もしくは、1タップ)でタイムラインに表示させることができます。リツイートした投稿がフォロワーのタイムラインに表示される可能性はFacebookに比べ極めて高く、「伝播」のハードルが非常に低くなっています。

現在のところ、ユーザー数の大きなwebサービスやアプリの中で、「伝播」しやすい構造を実現しているのはTwitterだけだと言って良いでしょう。

実際、Twitterが現在のように日本のネットユーザーのスタンダードになる前は、ネット上での「拡散」という概念自体が希薄でした。

 

Twitter以前と以後

それでは、Twitterが一般化する以前の「ネット炎上」はどのような形だったのでしょうか。

 

Twitterの「一般化」の目処として、20113月の東日本大震災が挙げられることが多いのですが、実際、Twitterを舞台としたネット炎上は2011年に爆発的に増え、ネット炎上の規模も非常に大きくなります。

 

それ以前(2010年まで)のネット炎上の構図は、ほとんどの場合、以下の2パターンに集約されます。

 

  • 攻撃対象となる人が開設しているブログのコメント欄に大量の非難・批判が寄せられる。
  • 2ちゃんねるにスレッドが立ち、叩かれる。

 

このようなネット炎上の仕方では、いわゆる「拡散」の程度は大きくないため、騒ぎはタコツボ化しやすかったわけです。(2ちゃんねるの最盛期でも利用者数は1000万人そこそこであり、しかも板ごとに住人が分断されているため、広く一般に知れ渡る、という状態にはなりにくかったわけです。)

これが、2011年を境に、Twitterでの「拡散」という現象が発生します。

ここでは個別具体的な炎上事例を挙げませんが、2011年は現代型のネット炎上元年と言っても過言でない年となります。

(ちなみに、Twitterの日本でのアクティブユーザー数は、2011年で2000万人弱、2017年には4500万人強と言われています。)

 

Twitterの一般化によって生じた「拡散」という新たなパターンは、それまでのネット炎上とは比較にならないほど多くの人の目に触れるようになり、騒ぎも大きくなります。

 

その構図を図式化したものが、以下の図です。

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炎上のきっかけとなる言動は、必ずしもTwitter内で発生するわけではありません。それは、テレビCMかもしれませんし、新聞記事かもしれません。そのようなきっかけとなる事案について、誰か(1人ではなく、複数人による同時多発的な場合もあります)によって「けしからん!」と話題に上げられます。これが「出火」フェーズです。

ちなみに、今年の1月末から2月にかけて発生した一連のバイトテロ炎上は、TikTokInstagramに投稿されていたものを、わざわざ告発者がTwitter上に持ち込んで「けしからん!」と投稿したのが始まりでした。

 

この投稿が多くの人の琴線に触れれば、「たしかにけしからん!」という「拡散」を促します。

この「たしかにけしからん!」という「拡散」が一定水準を超えると、Togetterにまとめられたり、webメディアに取り上げられたりなどして、さらなる「拡散」を呼びます。

これが「拡散」フェーズです。

 

この「拡散」フェーズにある話題に対しては、ネットメディアだけでなく、新聞やワイドショーなどのスタッフが常にウォッチをしています。新聞やワイドショーで取り上げることができそうな話題についてピックアップするためです。

こうして新聞やワイドショーで取り上げられると、それを見た人がその新聞記事や番組の情報(キャプチャなど)をTwitterにアップします。新聞記事や番組そのものがシェアされるだけでなく、新聞記事や番組で取り上げられたことについてウェブメディアが記事化し、それがシェアされるということもあります。

ここまで来ると完全に「炎上」と呼ぶべきフェーズとなります。(「拡散」フェーズですでに「炎上」と表現するような場合もありますが。)

 

「炎上」フェーズに至ると、同時多発的にいろいろなところで話題になるため、話題がどんどん飛び火します。このため、「拡散」が再生産され続け、そのたびに「炎上」の規模が大きくなっていくわけです。

 

「拡散」の再生産が最も恐ろしい

企業のネット炎上対策において、実際に炎上へと至る「拡散」のフェーズに自社が巻き込まれた場合、何を優先してクライシスマネジメントをするべきなのか。

それは、「拡散」の再生産を止める、ということです。

 

どんなに炎上を防止しようとしても、全くトラブルに見舞われない会社組織というものはあり得ません。

もちろん、防止することが最も重要ですが、それでもトラブルに見舞われた場合には、そのトラブルをいかに小さく収束させるかがリスクマネジメントの要諦です。

この「小さく収束させる」ためのポイントが、「拡散」そのものをいかに止めるか、ではなく、「拡散」の再生産をいかに生じさせないか、にあるわけです。それを最も確実に実現する方法が、以前の記事でご紹介した銀行の事例です。(記事中の「ネット炎上への対処は迅速性が大切」の項を参照してください。)

 

この銀行の事例では、きっかけ事案が17時に発生したのに対し、銀行側がその日の22時に公式ステートメントを発表して収束をしました。webメディアや新聞、ワイドショーなどが動き出したり、ネットユーザーが関連事項をほじくり返して騒ぎ出す前に、迅速に収束させた、つまり、「拡散」の再生産が生じる暇を与えなかったわけです。

先の記事でもお話しした通り、これを実現するためには、普段からのリスクマネジメント体制の構築が非常に重要です。

 

「不特定多数を想定したコミュニケーションのスキルが不足している」ということ

前回は、企業がネット炎上する場合の、企業側に起因する真の原因として以下の3パターンのうちの2つ目についてお話ししました。

 

  1. 都合の悪いことを誤魔化したり隠蔽できると思っている。
  2. 昭和的道徳観からアップデートできていない。
  3. 不特定多数を想定したコミュニケーションのスキルが不足している。

 

今回は、3つ目「不特定多数を想定したコミュニケーションのスキルが不足している」についてお話をしたいと思います。

 

ソーシャルメディアを前提としたコミュニケーションの特異性

現在、ある程度以上の規模の企業であればかなり多くの割合で、ソーシャルメディアの公式アカウントを運用されているのではないでしょうか。

Facebookページ、TwitterInstagramLINEYoutubeチャンネル、などなど。最近では、TikTokに興味を持たれている企業もチラホラいらっしゃることでしょう。

 

このような公式アカウント以外にも、ソーシャルメディアにおいてインターネット広告を配信したり、いわゆるインフルエンサーを起用した宣伝活動(インフルエンサーマーケティング:参照)などをおこなうケースもあるでしょう。

 

このような、公式アカウントやプロモーションでの発信には、テレビや紙媒体での広告とは明確に異なる特性があります。その1点目は、情報の受け手であるソーシャルメディアユーザーにとってリアクションが容易であることです。

 

例えば、紙媒体やテレビで見たものをソーシャルメディア上で共有しようとすると、わざわざそのコンテンツを写真に撮ったり、説明をしたりなどの手間が発生します。他方、すでにソーシャルメディアに上がっているものであれば、それをそのまま「シェア」や「リツイート」をすればいいだけなので、共有するためのハードルが非常に低いわけです。

 

また、2点目として、このようなソーシャルメディアユーザーの反応に対して、企業側がさらに何らかのリアクションをするかどうかを、企業側が主体的に選択しなければならない、というのもソーシャルメディア時代ならではです。

 

テレビや紙媒体で見た内容について、消費者が電話やメールで企業に問い合わせた場合、企業側としてはその問い合わせに対応しないという選択は取り得ないわけですが、ソーシャルメディア上では、ソーシャルメディアユーザーからのリツイートやコメントやメンションに対して、企業側から何らかのリアクションをすべきなのか、すべきでないのか、というところから考えなければなりません。

このようなコミュニケーション設計の違いも、ソーシャルメディアとそれ以外との異なる点です。

 

3点目として挙げられるのは、コミュニケーションが1対1でも、1対多でもない、ということです。

企業が単にソーシャルメディア上で一方的に情報を発信するだけであれば、企業と消費者の関係は1対多です。また、消費者が企業に電話やメールで個別に問い合わせをした場合には、基本的には1対1のコミュニケーションとなります。

これが、先に述べたようなリツイート、コメント、メンションといった状況に対して、企業がソーシャルメディア上でリアクションするとすれば、当該ユーザーと企業とのコミュニケーションは1対1でも、1対多でもなく、衆人環視の中で行われる劇場型とならざるを得ません。(なお、電話やメールでの個別の問い合わせ対応だったとしても、そのやりとりがネット上に晒されれば、それは途端に劇場型となります。)

 

さらには、企業としての公式ではなく、従業員や経営陣による私的な発信が企業に及ぼす影響についても考慮に入れなければなりません。(私的な発信といえど、企業として無関係でいられるわけではありません。)

これは、バイトテロだけでなく、経営者個人のアカウントでの発言(ZOZOの前澤社長のTwitterでの発言が話題になったことは記憶に新しいでしょう)、公式アカウントによる不規則発言なども範疇に入ります。

 

このように、企業としてソーシャルメディア上でのコミュニケーションを考える場合、ソーシャルメディア以前のような単純な関係性として設計することは不可能で、不特定の様々なプレイヤーが多数入り乱れるように関与することを前提にしつつ設計しなければなりません。

このような状況をここでは「不特定多数を想定したコミュニケーション」と呼びます。

 

「不特定多数を想定したコミュニケーション」をするために必要な認識と設計

一般に、企業は「不特定多数を想定したコミュニケーション」に対して苦手意識があります。その苦手意識は何に起因するのかというと、どこからどのような反応があるか分からないし、もし想定していない反応があった場合にどうしたらいいのか分からないという不安によります。

そのような不安に陥るのは、ソーシャルメディア時代以前には経験してこなかった「劇場型」のコミュニケーションに不慣れだからでしょう。

 

おそらく多くの企業は、悪質な言いがかりや詐欺まがいのクレーマーの対応に頭を悩ませてきたことと思います。

クレームの多くは真っ当なものでしょう。しかしながら、ごく一部の理不尽なクレーマーに如何に対処すべきか、お客様センターをはじめ、企業の各部門は頭を悩ませることが度々あるはずです。

理不尽なクレーマーの理不尽な要求を飲んでしまえばそれ自体がリスクとなりますし、かといって、下手な対応をしてしまえば「対応が傲慢だ」という評判を撒き散らされるかもしれないと思うと、安易に突っぱねるわけにもいきません。(そういったクレーム対応の難しさは、20世紀末に発生した東芝クレーマー事件が嚆矢と言って良いでしょう。)

このような理不尽なクレームは電話でじっくり会話をしても解決が難しいのに、ソーシャルメディア上でそのような理不尽なクレームに遭遇した場合に、相手の納得感を引き出すのは難しいのではないかと、企業側が不安に思うのも無理はありません。

 

結論から言えば、このような不安は、基本的に必要ありません。

というのも、理不尽ではないクレームに対しては、お客様センターへ誘導するなどして、個別に誠意を以って対処すれば良く、それに応じない、もしくは、お客様センターでのやり取りをソーシャルメディア上に持ち出すようなクレーマーについては、前述の「劇場型」を念頭に置いて対応すれば良いわけです。

 

劇場型においては、クレーマー自身を納得させることは最優先事項ではありません。

むしろ、企業側が筋を通し、誠意を以って対処することで、それを第三者的に見ている多くのネットユーザーたちの納得感を引き出すことが重要です。

 

このようなことを言うと、ソーシャルメディアに親和性の低い方は「ネットユーザーは企業よりも消費者の肩を持つんじゃないのか」と思われるようです。しかし、そのような単純な構図で思考している限り、ソーシャルメディアでのコミュニケーションに対する苦手意識からは決して抜け出すことはできません。

まず、消費者が企業に対してクレームを申し立てた場合、第三者的に見ているネットユーザーは、意外に公平な見方をしているものだということを理解する必要があります。

理不尽なクレーマーがソーシャルメディア上に戦いを持ち込んだ場合、ネットユーザーは企業に対してではなく、そのクレーマーに対して容赦をしないという事例には事欠きません。

例えば、少々極端な事例ではありますが、些細なことで店員に土下座を要求するクレーマーに対して、ネットユーザーがどのような対応をしたのかについて見てみましょう。

『しまむら』店員を土下座させて逮捕 クレーマー主婦をブタ箱に入れた「強要罪」はこんなに怖い(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

主婦が「土下座写真」をインターネット上で公開した直後、匿名掲示板では「店員を土下座させたクレーマーがいる」という噂が広がった。「炎上」の格好の標的となった彼女は、瞬く間に氏名や住所を暴かれ、自宅近くで娘と一緒の写真まで撮られてしまう。

 

果たして、クレーマーだからと言ってここまで叩いて良いのかといった問題はありますが、とはいえ、理不尽なクレーマーに対する多くのネットユーザーの心情はこれに代表されるように思います。

このようなことから、企業側は特殊なクレーマーそのものに心を砕くよりも、そのやりとりを見ている多くの人々が納得できるような、筋を通した誠意ある対応をすることが必要です。

 

ただし、この「筋を通した誠意ある対応」というのが、企業内の論理がそのまま通じるということではないので、場合によってはコミュニケーションのプロトコルを見直す必要があるかもしれません。

 

2014年の事例になりますが、カップ焼きそばに異物が混入していたことをきっかけとして大炎上に発展したケースでは、異物混入の告発だけで大炎上に発展したのではなく、メーカー側の対応において「筋を通した誠意ある対応」と見なされない言動があったために大炎上に至ったという経緯があります。

ペヤングゴキブリ混入事件とその後まとめ!大学生のツイッターで発覚

お互いのためが云々いって圧力かけてくるあたりカチンときた。

 

メーカー側としては、いきなり異物混入画像をTwitterにアップされた怒りがあったのかもしれません。また、食品メーカーに寄せられる異物混入関連クレームの多くはメーカー側にとって無謬のものであるため、虚偽の申し立てを疑っていたのかもしれません。

ですが、ソーシャルメディア時代以前であればこのような対応で騒ぎが大きくなることはなかったかもしれませんが、ソーシャルメディア時代においては「企業が無謬の消費者に圧力をかける」という構図は絶対に避けなければなりません。

 

まず、「いきなり異物混入画像をTwitterにアップされた」ことは、その記載内容が真実である限り、ソーシャルメディア時代においては不当なことではないという理解に立つことが重要です。(細かく言えば、名誉毀損罪の違法性阻却事由などの問題になるのですが、ここでは司法の話ではなく、ネット上での心象の問題として話をしています。)

その上で、その真実性に関して慎重に調査を進める必要があります。このタイミングで、場合によっては企業としての公式のステートメントを発表するなど対処も必要になるかもしれません。いずれにせよ、事が判然としないうちに、自社にとって目障りな情報を見えないようにしようという方向に意識を向けてしまうと、非常に高い確率で反発を招きます。(その最たるケースはDMCAの濫用のケースでしょう。参照:

ネット炎上には、削除依頼ではなくアカウンタビリティ(説明責任)で - ソーシャルメディア時代のリスクマネジメント

 

このような、ソーシャルメディアを念頭においたコミュニケーションプロトコルが自社内できちんと共有されているか、そして実行されているか、どの企業においても改めて精査する必要があるのではないでしょうか。

 

 

以上、ここまで複数回にわたって、企業の体質に起因するネット炎上の真の原因についてお話ししてきました。

リスク管理体制の構築やアップデートを行う際に、ぜひこのような視点を盛り込んでみてください。

 

 

 

「昭和的道徳観からアップデートできていない」ということ

前回は、企業がネット炎上する場合の、企業側に起因する真の原因として以下の3パターンを挙げ、その1つ目についてお話をしました。

 

  1. 都合の悪いことを誤魔化したり隠蔽できると思っている。
  2. 昭和的道徳観からアップデートできていない。
  3. 不特定多数を想定したコミュニケーションのスキルが不足している。

 

今回は、2つ目「昭和的道徳観からアップデートできていない」についてお話をしたいと思います。

 

価値判断のあり方の変容

この文章を書いている現時点では、新元号「令和」が発表され、もうすぐ平成が終わろうとしているところです。

30年以上にわたる「平成」において、最も世の中の仕組みを変えた要素を挙げるならば、インターネットの商業化でしょう。

平成元年はインターネットが商業化されるずっと前なので、その時点ではほとんどの人はインターネットというものの存在自体を知りませんでした。それが1990年代のインターネット商業化を経て、現時点では日本社会のほとんどの人々がなんらかの形でインターネットを利用しています。つまり、平成とは、インターネット以前から以後へ、社会が大きくシフトした時代だったと言えます。

ただし、インターネットというインフラを同じく利用しつつも、インターネットがもたらした変革に伴う社会的価値判断の変革を理解している人と理解していない人で二極化し、両者の間に大きな溝が生じているように感じます。

 

少し詳しく説明します。

 

インターネット以前であれば、広く情報発信するのはマスメディアの特権でした。大雑把な言い方をしてしまえば、マジョリティの時代です。マイノリティが広く情報発信をしようとするならば、マジョリティであるマスメディアによって拾い上げられた上で、マスメディアの表現を通してのみ発信できるという時代です。マイノリティの声がマイノリティの声のままに発信され、それが多くの人にリーチすることは非常に難しい時代でした。

そのような時代において何が起こるかというと、マイノリティの存在感が希薄で、社会の価値基準のステレオタイプ化が常態化するということです。「○○はこうあるべきだ」「○○はこういうものである」という価値基準に多くの人が追従する(しなければならないと思っている)ことでマジョリティが形成され、それに従わない(従えない)存在(たとえば、中年になっても独身の人、子供がいない夫婦、セクシャルマイノリティなどなど)はマイノリティとして肩身の狭い立場に立たされていたわけです。

 

それが、インターネットが一般化した後には個人が広く発信をすることが可能になり、ソーシャルメディアの登場でそれがより加速しました。個人が発信することのハードルがどんどん下がっていき、それに反比例するように、個人が発信することのインパクトがどんどん大きくなっていったと言えます。

その結果、マイノリティの立場から、「そのステレオタイプは間違っている」という声を上げやすくなり、かつ、その声が広い範囲の人々にリーチしやすくなったというのが、ソーシャルメディア時代の特徴と言っていいでしょう。

 

マイノリティの人々が自分たちの言葉で発信することが当たり前になってきた結果、何が起こったかといえば、「○○はこうあるべきだ」「○○はこういうものである」というステレオタイプに無理やり自分を合わせなくても良いのだ、ということを、次第に多くの人が理解するようになってきた、ということです。

「現代社会は価値観が多様化した」という紋切り型の言い方がよく使われますが、これは、いろいろな価値観を持つ人々がそれぞれに発信するようになってきて、いろいろな価値観の存在が可視化されたことに起因しているのだと思います。つまり、「多様化した」のではなく「多様であることが可視化された」ということです。

 

このような社会的価値判断の変革を前提に置かない、「○○はこうあるべきだ」「○○はこういうものである」というステレオタイプ的価値判断のことを本稿では「昭和的道徳観」と呼びます。(平成の前半は、昭和的価値観の延長線上にある残滓の時代であったと思うので、このような象徴的な表現にしています。)

 

先にも触れましたが、「社会的価値判断の変革を理解している人と理解していない人で二極化し、両者の間に大きな溝が生じている」ため、昭和的道徳観を前提とした言説に違和感を持たない人と、昭和的道徳観に反発を抱く人との間に、価値観の相違にもとづく軋轢が生じやすくなります。それが、場合によって「ネット炎上」という形で表出するわけです。

このようなタイプのネット炎上については枚挙にいとまが無く、本ブログにおいても過去にたびたび取り上げてきました。

 

 

どうやってアップデートするのか

「昭和的道徳観」を前提として生活している人々の多くは、決して「昭和的道徳観」に積極的に固執しているわけではないと思います。単に子供の頃からそれが正しいことなのだ、当たり前のことなのだ、と教えられたり、そのような社会の空気の中で育つ中で身につけた習慣的振る舞いでしかない場合が多いでしょう。

逆に言えば、習慣として身につけた価値観だからこそ、それ自体を疑うことが非常に難しいわけです。このため、「それは間違いだ!」と他者から(たとえばネット炎上などで)批判されると、いったい何が悪いのかの論点すら分からず戸惑ってしまうわけです。

 

いわゆる企業型のネット炎上ではありませんが、このような構図が典型的に現れたのが、2017年に発生した、テレビ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」における、LGBT差別問題です。

 

保毛尾田ネタ炎上、鎮火しても残る「違和感」 | テレビ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

30年前のネタを2017年に再び持ち出したら、30年の間に変容した価値判断にもとづいて批判が巻き起こり、ネット炎上に至ったというのが本件の構図でしょう。しかも、批判された当事者である演者や制作側には、「何故こんなことで批判をされなければならないのか・・・」という戸惑いが有ったのは間違いありません。

 

ここで重要なのは、「嫌だと思う人がいたら、それは放送すべきではない」という単純な話ではなく、これを嫌だと思う人がいることを制作側が想定できていなかったのではないか、ということです。

「昭和的道徳観」で止まっている限り、これを嫌だと思う人がいるということを想定できないのは当然ですから、問題に対処のしようも無いのです。

 

「嫌だと思う人がいたら、それは放送すべきではない」などというのは、表現を萎縮を招くだけのディストピア的発想です。ですので、私としてはこのような単純なロジックには与しません。

ですが、「嫌だと思う人がいても、なぜこれを放送すべきなのか」のロジック(「別にこれぐらいいいじゃん」というのはロジックではありません)が用意されていない時点で、あまりにナイーブであったと思います。もし放送すべきだというロジックがあるならば、ただただ謝罪して終わり、などということではなく、堂々と正当性を主張すればいいのです。

「昭和的道徳観」からの価値変容のアップデートをおこなえば、このようなことは容易に理解できるわけです。

 

では、どうやってアップデートするのか。

それは、「価値観」に関わるような議題について、今どのような議論が行われているのかをインプットすることで可能です。

あくまで「議論」なので、正解があるわけではありません。このため、マニュアル化も難しいでしょう。つまり、「こういう場合はこうしましょう」という、正しい行動を規定するような学習ではなく、「○○に関しては今、XXと考える人と、△△と考える人がいるから、こういうことを発信すればこういう反応があるに違いない」ということを想定できるリテラシーを身につける、ということが重要なわけです。

 

また、「価値観」と一口に言っても、その中身は非常に多岐に渡ります。

たとえば、「ジェンダー」ひとつを取ってみても、男女の問題だけでなく、LGBTQも当然念頭に置かなければなりません。それも「差別はいけません」などという漠然とした話ではなく、「戸籍上の性は男性だが、性自認は女性で、性的指向の対象は女性、服装は女装という人は、公共のトイレでは男性用トイレを使うべきか女性用トイレを使うべきか」というような、踏み込んだ議論について理解するべきです。

このような議論には、唯一の最適解が有るわけではないので、一問一答で答えを覚えておけば良い、ということではありません。議論の文脈そのものを理解しておく必要があるのです。

 

こういったアップデートは、よほど意識をしないと、個人で全方位的に行うことは非常に難しいと思います。

このため、外部講師を招くなどして勉強会をおこない、社内で様々な分野でのアップデートをおこなうことが重要です。

 

 

今回はここまで。

次回は、3つ目の「不特定多数を想定したコミュニケーションのスキルが不足している」についてお話ししていきたいと思います。

 

 

企業の体質の結果生じてしまうネット炎上

前回は、ネット炎上の対象を

「有名人・芸能人型」

「メディア型」

「一般人・企業型」

の3タイプに分けた際の、それぞれのネット炎上の違いを具体的に掘り下げていきました。

その中で、企業が対象となるネット炎上が発生してしまう真の原因として、以下の3点を挙げました。

 

  1. 都合の悪いことを誤魔化したり隠蔽できると思っている。
  2. 昭和的道徳観からアップデートできていない。
  3. 不特定多数を想定したコミュニケーションのスキルが不足している。

 

今回から3回に分けて、この3点をより深掘りしていきたいと思います。

 

なお、この3点に起因して発生した問題は、以前の記事「レピュテーションリスクには、ランクがある」において「ランク3:企業の姿勢や体質の問題」に相当する可能性が非常に高くなり、レピュテーション上のダメージが後を引きやすくなってしまいます。

このため、ネット炎上に至ってから慌てて対処するのではなく、炎上に至る前に(炎上に至らないように)自己点検、自己改善を進めなくてはなりません。(本稿もその取り組みを手助けできるようにという観点から書いています。)

 

「都合の悪いことを誤魔化したり隠蔽できると思っている。」とは

まずは1つ目の「都合の悪いことを誤魔化したり隠蔽できると思っている。」について。

 

ここでいう「誤魔化し」や「隠蔽」は、表沙汰にならないようにもみ消す、というような積極的な場合ばかりでなく、「このまま放置しても多くの人の目に触れることは無いだろう」という消極的な意味での隠蔽(不作為の作為としての隠蔽)も含まれます。

 

確かに、もし社内に問題が存在したとしても、その問題自体が表沙汰にならなければ、レピュテーションの悪化によるダメージを引き受けなくて済みます。言うなれば、「バレなきゃ平気」ということです。

実際、表沙汰にならずに済んだ、というケースもあるでしょう。特に、ソーシャルメディアが一般化する以前は表沙汰にならずに済んだケースも多かったのではないかと想像します。

しかしながら、ソーシャルメディアが一般化した現在、都合の悪いことを隠し続けるのは非常に難しくなっています。

 

というのも、ソーシャルメディア時代以前であれば、「誤魔化し」や「隠蔽」に気づいた人がいたとしても、それを世間に知らしめる方法は、マスメディアに持ち込むぐらいしか方法がありませんでした。その場合、マスメディアが報じてくれるかどうかは全くの不明です。

それが、ソーシャルメディアが一般化した現代では、マスメディアに持ち込むまでもなくソーシャルメディアに書き込むという手段が多くの人に開かれていますので、世間に知らしめる間口が相対的に大きくなっているのです。その書き込みが多くの人に閲覧され、拡散されることで炎上に至るケースが、これまでいくつも発生しています。

 

極端な例え話をすると、何らかの悪徳商法が存在し、ある人が被害に遭ったとします。

ソーシャルメディア時代以前であれば、被害者は弁護士や警察に相談し、少ない手がかりを頼りに他にも同じような被害に遭っている人がいないかを探しつつ、刑事や民事での訴訟を検討し、他にも被害者がいることが分かれば被害者の会を設立し、その規模が大きければマスコミが話題として取り上げたりしてくれるかもしれない(けれど、継続的に報道し続けるわけではない)、という流れであったろうと思います。

これに対し、ソーシャルメディアが一般化した現代であれば、「こんな酷い目に遭った」ということをソーシャルメディアに書き込めば、同じ被害に遭った人がその書き込みを見つけてくれる可能性は十分に存在しますし、それが拡散され、多くの人の目に触れる可能性も高いわけです。

 

このような消費環境にあっては、かつて(たとえば昭和の頃などに)存在していた企業と個人の情報の非対称性はかなり小さくなっていると言えるでしょうし、企業はそれを前提にガバナンスを構築しなければなりません。

それは、表沙汰にならないことを前提にして施策を決定する(≒万が一表沙汰になったら土下座で乗り切る)という脆弱性の高いマネジメントではなく、「表沙汰になって困ることをできるだけ減らしていく」(企業の経営で真っ白は難しいでしょうから、ゼロにしろとは言えません)というマネジメントが必要だということです。

 

ただ、経営陣が「これまでこれでやってきたんだから、これで大丈夫だ」という確証バイアスに囚われている場合、現場からのボトムアップで覆すのは困難だろうと思います。

そのような場合は、有志が自身の権限の範囲で始められることから着手するしかありません。例えば、低予算で始められるソーシャルメディアのモニタリング(=定常的な自社のエゴサーチ)をおこない、どんな評判が立っているのかを上司と共有するところから始めてみるなど。

実態を把握し共有することで、危機感の輪を広げていくことが、ボトムアップの第一歩となるでしょう。

 

ただし、このやり方は非常に不確実ですし、時間もかかります。

経営陣の意識が変わるよりも、市場からNOを突きつけられる方が先になる可能性があります。その場合、「レピュテーションリスクには、ランクがある」のランクに照らした場合、確実にランク3以上となるので、大きなダメージを負うのは確実です。

 

本来ならば経営陣がこのリスクを受け入れ、会社としてのリスクマネジメント体制を整えたり改善したりしていく中に組み込む課題としていくことが望ましいでしょう。

(参照:本ブログ「ソーシャルリスクマネジメント体制を作れ」)

 

今回は、企業が対象となるネット炎上が発生してしまう真の原因の1つ目について詳しくお話をしました。

 

次回は2つ目について掘り上げていきたいと思います。