近年、ユーモアのつもりが消費者の怒りを買って炎上する、というプロモーションが散見されます。
つい先日も、ロフトのプロモーションがこのパターンで炎上し、動画の配信を停止しました。
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これについては、ネットメディアでは
「女の友情は表面的だと言いたいのか」
「女は陰湿だというのか」
「女を馬鹿にしている」
などの声を主に拾っており、それを受けて「またフェミが騒いでいる」というような冷淡な感想を述べるネットユーザーもいます。
私は、このプロモーションのクリエイティブに関して、全く以って擁護の余地は無いと思っています。
それは、ポリティカルコレクトネスの観点から云々、という以前に、そもそもプロモーションとしての出来が悪すぎるからです。
それも、単につまらないということではなく、これをユーモアだと思っているユーモアのセンスが浅はかであると思うからです。
ユーモアというものは、そのユーモアが発せられる前提となるコンテクストを共有していなければ、ただの暴力になる場合があります。特に今回のロフトのプロモーションのように、誰かをせせら笑うようなブラック系のユーモアではそれが顕著です。
プロモーションは、お笑い番組でも、ライブハウスでも、コミックでも小説でも映画でもありません。コンテクストを共有していない人の目に不意に飛び込んでくるものがプロモーションなのです。
つまり、「このプロモーションのユーモアが分からないなんてナンセンスだ」などという擁護をする方がナンセンスであり、自身のコンテクストを他者に強要する以外の何物でもないわけです。
プロモーションというのは、ターゲットである顧客から支持されて始めて機能するわけで、コンテクストの前提も無いままに、何故顧客をせせら笑うようなクリエイティブを作ってしまうのか理解に苦しみます。
もしかしたら、『臨死!江古田ちゃん』や『女は笑顔で殴り合う』などのような作品が許容されている文脈を過大視して、それがロフトのターゲットである若い女性顧客層のコンテクストとして一般化されていると、企画側が勘違いした節があるかもしれません。
たしかに、それらの作品は人気もあり、アニメ化やドラマ化がされています。ですが、その作品はターゲット顧客層の8割9割が慣れ親しんだコンテンツだと言えますか、と。
たとえば、
「Amazonで『臨死!江古田ちゃん』に星4つ以上つけている人」
というような、ピンポイントなターゲティングをするのであれば、あるいは受け入れられる素地があるかもしれません。が、そんなピンポイントなターゲティングを、このようなプロモーションで行うはずもありません。
また、そもそも、エンタメ作品の登場人物がイヤなヤツとして描かれていても不愉快になりませんが、一企業のプロモーションにおいて表現される匿名性の高い女子一般像として雑なくくりでdisられれば、女性一般(自身も含めた女性一般)に対する攻撃であると受け止められて当然です。
このように、エンタメと広告では、受け手への伝わり方のコンテクストの違いもあるわけです。
さらに見方を変えて、こようなプロモーションがローンチされてしまうことの異常性を、ターゲット層の異なる商材に置き換えて考えてみましょう。
たとえば、高級車のプロモーションで、金満ジジイの下品な成金趣味を揶揄するようなクリエイティブを作るかというと、そんなわけがありません。
スポーツ用品メーカーのプロモーションで、「運動部の部活に燃えてる奴って暑苦しいよね」みたいな冷笑系のクリエイティブを作るかというと、それもありえないでしょう。
自社の顧客をせせら笑うような「ユーモア」をプロモーションに盛り込んだりはしないのです。
プロモーションにおいて、誰かを馬鹿にするようなクリエイティブを作るならば、それはそれ相応の反撃や応酬を覚悟して、腹をくくってローンチしなければならないということを、企業の宣伝担当者は重々理解しておく必要があるでしょう。
参考記事:
Loftのバレンタイン広告が読解力を求められすぎる件について - エモの名は。