全部「炎上」でくくってしまっていいのか
「ネット炎上」とは、対象となる人や企業・団体による言動に対して、ネット上で多数の批判や非難、罵倒などが寄せられている状態のことを指します。
その際、その批判や非難、罵倒の陰にある、対象に対する肯定的な意見や、ネガティブな見解に対する反論についてはあまり考察されることなく、全部ひとくくりにして「炎上」という言葉で片付けられてしまいます。
ですが、それはかなり雑なくくり方ではないでしょうか。
例えば、批判の声が上がることを覚悟の上で企業がメッセージを発信する、ということは、場合によっては有ってしかるべきです。
そのような時に、賛否両論あったからと言ってそれを「炎上」の一言で片付けてしまって本当に良いのか。
その典型的な例が、2016年に公開されたポーラの人材募集広告動画です。
「この国は、女性にとって発展途上国」という刺激的なフレーズで、豪速球ストレートなメッセージを投げかける動画は賛否両論を巻き起こしました。
たった60秒の動画で伝えられるメッセージは、どうしても粗くなりがちです。その粗さが故に、様々な批判をするということも可能です。
この動画に対しても、
「男だってつらいんだ」
という的外れな批判から、
「そういうポーラ自身だって、役員や管理職に女性が少ないじゃないか」
という、この動画で訴えていることと論点をズラした批判まで、様々な批判が寄せられました。
他方、共感や賞賛の声もそれ以上に沸き起こっています。
このような状況を、考えの浅いおふざけPR動画が元で全面的に叩かれたようなケースと同様に「炎上」などと呼んでいいのでしょうか。
ポーラ宣伝部長(当時)の渡邉和子さんは、取材に対して当時を振り返って、以下のように述べています。
「それに対して、CMを引き下げるという考えはありませんでした」
「第1弾CMでポーラが発信したメッセージは、押し付けでも結論でもなく問いです。こういうことが起こっていますが、みなさんどう思われますか、と。それに対するコメントは、ポジティブ・ネガティブどちらも、みなさんが思われたことであり、 ご意見だと思っていましたから」
この場合、批判を受けることを想定していたわけです。この動画に対する批判の構造こそが、ポーラとして向き合うべき社会状況なのだという強い意志すらも垣間見得ます。
「flaming」と「controversy」
ポーラのこの動画への反応のように、批判と賞賛が盛り上がった状態のことを形容する言葉として、英語には「controversial」という言葉があります。「物議をかもす」とか「議論を引き起こす」というような意味です。これの名詞形が「controversy」で、「論議」などと訳すようです。
他方、全面的に叩かれているような場合にはこの言葉を用いず、「flaming」、まさに「炎上」という言葉を用いるようです。
上記のポーラのケースは「flaming」ではなく「controversy」と呼ぶべきものであり、状況が許すなら、多くの企業でも行う価値のある取り組みではないかと思います。
実際、海外ではちょっと前からそういった事例がポツポツと見られるようになってきました。
特に今年に入って大きな議論を呼んだのが、男性向けの髭剃り用カミソリを事業の一番の柱としているジレットが公開したCMでした。
ジレットの炎上CM、幹部が明かす制作の意図 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
ジレットはこれまで「男らしさ」を前面に押し出したブランドイメージを構築してきましたが、本CMでは「男らしさって、常に素晴らしいものなんだっけ?」という疑問を投げかけ、「有害な男らしさ」に対して警鐘を鳴らすという、思い切ったメッセージを発信しました。
当然、これに反発する動きもあったりなど、まさしく「controversy」状態でした。
ジレットのCMが不快と炎上!激怒した俳優達と内容をシェア | スポーツマニアワン!
この状態を日本であればおそらく「炎上」と表現するはずですし、ここまでのメッセージを投げかける企業は日本では皆無ではないかと思います。もちろん、「だから日本の企業はダメだ」というようなことを言うつもりは全くありません。企業は社会変革を促すのが第一義なのではなく、社会に適合しつつ収益を最大化するのが目的ですから、「controversy」な状況を作ることが自社に短期的にも中長期的にも益が無いと判断するならば、そのようなことをする必要は無いのです。
とはいえ、今の日本企業は「flaming」と「controversy」を一緒くたにして「炎上」と呼び、批判を怖がりすぎているのではないでしょうか。
「controversy」を恐れない
本ブログの一番最初の記事にも書きましたが、リスクを「ヘッジ」することと「マネジメント」することは、同義ではありません。
常に「ヘッジ」しか考えなければ、短期的なリスクは低減できても、中期的にはジリ貧に陥ります。
先にも述べた通り、企業は収益を最大化するのを目的としていますが、一方で、企業に対して社会の公器としての立ち振る舞いが強く求められる現代において、企業の姿勢をメッセージとして発信することの意義も考慮すべきでしょう。
もちろん、メッセージを投げかけるからには、発信者はそのメッセージの内容に対して責任が生じます。
イメージ先行の薄っぺらいメッセージであれば、すぐに底の浅さがバレて批判に晒されるのがソーシャルメディアの恐ろしいところです。なにしろソーシャルメディアは、その筋の専門家たちもたくさん利用しており、そのような専門家たちに「そんな底の浅いアプローチは却って害悪だ」と指摘される可能性が高いからです。ジェンダー関連で炎上に至っているプロモーションも、このパターンが非常に多いのが実情です。
つまり、メッセージを投げかけるからには、そもそもの社会課題をふわふわしたイメージで捉えて薄っぺらいクリエイティブに落とし込むのではなく、自分たちの中で芯から腹落ちさせなければなりません。それがメッセージの発信者としての最低限の責任です。
その上で発したメッセージであれば、「controversy」が発生しても恐れることはありません。「実際に取り組むべき社会課題がそこに有ることを、自分たちはよく知っている」と胸を張って言えるのですから。
逆に、ふわふわしたイメージだけでプロモーションを設計してしまった場合、ロジカルに反論されてしまうと「そんなつもりはありませんでした。ごめんなさい」としか言えなくなります。
メッセージを投げかけるには、そのメッセージに内包される社会課題について深く理解し、同時に、そのメッセージに対する様々な反論も予想しながら取り組む必要があります。その上であれば、プロモーションとしての効果も十分に担保することが期待できるでしょう。