ソーシャルメディア時代のリスクマネジメント

ソーシャルメディア関連を専門とするリスクコンサルタントが、企業のリスクマネジメントについて書いています。

「昭和的道徳観からアップデートできていない」ということ

前回は、企業がネット炎上する場合の、企業側に起因する真の原因として以下の3パターンを挙げ、その1つ目についてお話をしました。

 

  1. 都合の悪いことを誤魔化したり隠蔽できると思っている。
  2. 昭和的道徳観からアップデートできていない。
  3. 不特定多数を想定したコミュニケーションのスキルが不足している。

 

今回は、2つ目「昭和的道徳観からアップデートできていない」についてお話をしたいと思います。

 

価値判断のあり方の変容

この文章を書いている現時点では、新元号「令和」が発表され、もうすぐ平成が終わろうとしているところです。

30年以上にわたる「平成」において、最も世の中の仕組みを変えた要素を挙げるならば、インターネットの商業化でしょう。

平成元年はインターネットが商業化されるずっと前なので、その時点ではほとんどの人はインターネットというものの存在自体を知りませんでした。それが1990年代のインターネット商業化を経て、現時点では日本社会のほとんどの人々がなんらかの形でインターネットを利用しています。つまり、平成とは、インターネット以前から以後へ、社会が大きくシフトした時代だったと言えます。

ただし、インターネットというインフラを同じく利用しつつも、インターネットがもたらした変革に伴う社会的価値判断の変革を理解している人と理解していない人で二極化し、両者の間に大きな溝が生じているように感じます。

 

少し詳しく説明します。

 

インターネット以前であれば、広く情報発信するのはマスメディアの特権でした。大雑把な言い方をしてしまえば、マジョリティの時代です。マイノリティが広く情報発信をしようとするならば、マジョリティであるマスメディアによって拾い上げられた上で、マスメディアの表現を通してのみ発信できるという時代です。マイノリティの声がマイノリティの声のままに発信され、それが多くの人にリーチすることは非常に難しい時代でした。

そのような時代において何が起こるかというと、マイノリティの存在感が希薄で、社会の価値基準のステレオタイプ化が常態化するということです。「○○はこうあるべきだ」「○○はこういうものである」という価値基準に多くの人が追従する(しなければならないと思っている)ことでマジョリティが形成され、それに従わない(従えない)存在(たとえば、中年になっても独身の人、子供がいない夫婦、セクシャルマイノリティなどなど)はマイノリティとして肩身の狭い立場に立たされていたわけです。

 

それが、インターネットが一般化した後には個人が広く発信をすることが可能になり、ソーシャルメディアの登場でそれがより加速しました。個人が発信することのハードルがどんどん下がっていき、それに反比例するように、個人が発信することのインパクトがどんどん大きくなっていったと言えます。

その結果、マイノリティの立場から、「そのステレオタイプは間違っている」という声を上げやすくなり、かつ、その声が広い範囲の人々にリーチしやすくなったというのが、ソーシャルメディア時代の特徴と言っていいでしょう。

 

マイノリティの人々が自分たちの言葉で発信することが当たり前になってきた結果、何が起こったかといえば、「○○はこうあるべきだ」「○○はこういうものである」というステレオタイプに無理やり自分を合わせなくても良いのだ、ということを、次第に多くの人が理解するようになってきた、ということです。

「現代社会は価値観が多様化した」という紋切り型の言い方がよく使われますが、これは、いろいろな価値観を持つ人々がそれぞれに発信するようになってきて、いろいろな価値観の存在が可視化されたことに起因しているのだと思います。つまり、「多様化した」のではなく「多様であることが可視化された」ということです。

 

このような社会的価値判断の変革を前提に置かない、「○○はこうあるべきだ」「○○はこういうものである」というステレオタイプ的価値判断のことを本稿では「昭和的道徳観」と呼びます。(平成の前半は、昭和的価値観の延長線上にある残滓の時代であったと思うので、このような象徴的な表現にしています。)

 

先にも触れましたが、「社会的価値判断の変革を理解している人と理解していない人で二極化し、両者の間に大きな溝が生じている」ため、昭和的道徳観を前提とした言説に違和感を持たない人と、昭和的道徳観に反発を抱く人との間に、価値観の相違にもとづく軋轢が生じやすくなります。それが、場合によって「ネット炎上」という形で表出するわけです。

このようなタイプのネット炎上については枚挙にいとまが無く、本ブログにおいても過去にたびたび取り上げてきました。

 

 

どうやってアップデートするのか

「昭和的道徳観」を前提として生活している人々の多くは、決して「昭和的道徳観」に積極的に固執しているわけではないと思います。単に子供の頃からそれが正しいことなのだ、当たり前のことなのだ、と教えられたり、そのような社会の空気の中で育つ中で身につけた習慣的振る舞いでしかない場合が多いでしょう。

逆に言えば、習慣として身につけた価値観だからこそ、それ自体を疑うことが非常に難しいわけです。このため、「それは間違いだ!」と他者から(たとえばネット炎上などで)批判されると、いったい何が悪いのかの論点すら分からず戸惑ってしまうわけです。

 

いわゆる企業型のネット炎上ではありませんが、このような構図が典型的に現れたのが、2017年に発生した、テレビ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」における、LGBT差別問題です。

 

保毛尾田ネタ炎上、鎮火しても残る「違和感」 | テレビ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

30年前のネタを2017年に再び持ち出したら、30年の間に変容した価値判断にもとづいて批判が巻き起こり、ネット炎上に至ったというのが本件の構図でしょう。しかも、批判された当事者である演者や制作側には、「何故こんなことで批判をされなければならないのか・・・」という戸惑いが有ったのは間違いありません。

 

ここで重要なのは、「嫌だと思う人がいたら、それは放送すべきではない」という単純な話ではなく、これを嫌だと思う人がいることを制作側が想定できていなかったのではないか、ということです。

「昭和的道徳観」で止まっている限り、これを嫌だと思う人がいるということを想定できないのは当然ですから、問題に対処のしようも無いのです。

 

「嫌だと思う人がいたら、それは放送すべきではない」などというのは、表現を萎縮を招くだけのディストピア的発想です。ですので、私としてはこのような単純なロジックには与しません。

ですが、「嫌だと思う人がいても、なぜこれを放送すべきなのか」のロジック(「別にこれぐらいいいじゃん」というのはロジックではありません)が用意されていない時点で、あまりにナイーブであったと思います。もし放送すべきだというロジックがあるならば、ただただ謝罪して終わり、などということではなく、堂々と正当性を主張すればいいのです。

「昭和的道徳観」からの価値変容のアップデートをおこなえば、このようなことは容易に理解できるわけです。

 

では、どうやってアップデートするのか。

それは、「価値観」に関わるような議題について、今どのような議論が行われているのかをインプットすることで可能です。

あくまで「議論」なので、正解があるわけではありません。このため、マニュアル化も難しいでしょう。つまり、「こういう場合はこうしましょう」という、正しい行動を規定するような学習ではなく、「○○に関しては今、XXと考える人と、△△と考える人がいるから、こういうことを発信すればこういう反応があるに違いない」ということを想定できるリテラシーを身につける、ということが重要なわけです。

 

また、「価値観」と一口に言っても、その中身は非常に多岐に渡ります。

たとえば、「ジェンダー」ひとつを取ってみても、男女の問題だけでなく、LGBTQも当然念頭に置かなければなりません。それも「差別はいけません」などという漠然とした話ではなく、「戸籍上の性は男性だが、性自認は女性で、性的指向の対象は女性、服装は女装という人は、公共のトイレでは男性用トイレを使うべきか女性用トイレを使うべきか」というような、踏み込んだ議論について理解するべきです。

このような議論には、唯一の最適解が有るわけではないので、一問一答で答えを覚えておけば良い、ということではありません。議論の文脈そのものを理解しておく必要があるのです。

 

こういったアップデートは、よほど意識をしないと、個人で全方位的に行うことは非常に難しいと思います。

このため、外部講師を招くなどして勉強会をおこない、社内で様々な分野でのアップデートをおこなうことが重要です。

 

 

今回はここまで。

次回は、3つ目の「不特定多数を想定したコミュニケーションのスキルが不足している」についてお話ししていきたいと思います。