ソーシャルメディア時代のリスクマネジメント

ソーシャルメディア関連を専門とするリスクコンサルタントが、企業のリスクマネジメントについて書いています。

「ネット炎上」と「ネットリンチ」は同じ物?

前回は、非難・批判の限度を超えた攻撃的な書き込みがネット上にはしばしば存在することを、最後に述べました。

今回はこの「限度を超えた攻撃的な書き込み」について理解を深め、「ネット炎上」と一緒くたに論じられがちなこのような行為についての正しい対処についてお話ししていきたいと思います。

 

ネットの書き込みでの執拗な攻撃

ネット上で、ある特定の人に対して不特定または多数の人が執拗に攻撃し、人格的に追い込むなどの行為がしばしば見受けられます。

攻撃を受ける人がなぜそのような攻撃を受けることになってしまうのかといえば、その人の実際の言動が原因となる場合もありますし、事実無根の噂話が発端となることもあります。

 

「実際の言動に基づく場合」の例を挙げれば、バイトテロの当事者に対する攻撃などは分かりやすいでしょう。

どこかの店舗のスタッフがおふざけのレベルを超えるような不適切な行為をネットに書き込むのがいわゆる「バイトテロ」です。(バイトテロそのものに関する詳細は、こちらの記事をご参照ください。)

 

その不適切行為の当事者がネット上で非難・批判の嵐にさらされて「ネット炎上」に至るわけですが、その際、非難・批判の程度を超え、「二度と社会復帰できなくしてやる」という謎の執念に駆られて執拗に対象者を攻撃したり、場合によっては素性まで調べ上げて個人情報を晒しあげたり、といったことを行う人もいます。

 

他方、「事実無根の噂話が発端」となった事例として有名なのが、タレントのスマイリー・キクチさんのケースです。

スマイリー・キクチさんは長期にわたって、殺人犯であるというデマをネット上で多数書き込まれ続けました。(詳しくはスマイリー・キクチさんの著書『突然、僕は殺人犯にされた』を参照してください。)

このケースでは、ネット炎上と言えるほどの大量の書き込みが短期間になされたということはなく、長年にわたってネチネチと、ネット掲示板やブログのコメント欄などにパラパラと書き込まれ続けたという特徴があります。

つまり、ネット上での執拗な人格攻撃は、必ずしもネット炎上を伴うわけではありません。このため、ネット炎上と人格攻撃とは、分けて考えないと対策を誤ります。

 

本稿では、このようなネット上での執拗な人格攻撃のことを「ネットリンチ」と呼びます。

 

「ネットリンチ」とは

「リンチ」は、日本語では「私刑」などと表すこともあります。文字通り、司法を経ずして私的に断罪し制裁を加える行為を指します。

ただ、私的な制裁といっても、リンチ(=私刑)の場合には集団で寄ってたかって行うという意味合いが含まれますので、「子供を殺された親が、殺人犯に対して一人で敵討ちをする」というような、単独で行う行為は含まれないと考えるのが妥当です。

 

また、例えば複数人の強盗グループが金品を強奪する目的で通行人に対して寄ってたかって暴力行為を行なったとしても、通常「リンチ」とはいいません。なぜなら、先にも書いたとおり、「リンチ」とは「制裁」という目的を(主観的には)伴うものですので、特定のコミュニティにおけるルールを逸脱した者を罰する行為であるという側面が付随するものだからです。(それが正当な行為か否かは別として。)

 

加えて、「リンチ」には通常、物理的な暴力が伴いますので、村八分のようなタイプの制裁については「リンチ」と表現するのはあまり一般的ではありません。(メタファーとして「リンチ」と表現することはあるかもしれませんが。)

 

このような特徴を踏まえた場合、「リンチ」という言葉を口語的に表現すると、

「法律に関係なく、コミュニティ内の論理でコミュニティからの逸脱者を寄ってたかってボコボコにする」

と定義できるでしょう。

 

なぜわざわざ「ボコボコにする」のかといえば、逸脱者を逸脱したまま野放しにすると、コミュニティの秩序が保たれないと考えるからです。その「秩序」とは、法律に定められる法治的秩序のことではなく、リンチをする側が考える「オレたちのコミュニティのルール」に基づく秩序です。

 

かつてアメリカの公民権運動が盛んであった頃、白人至上主義者が黒人に対してリンチを行なっていたのは、まさに白人至上主義者にとっての「オレたちのコミュニティのルール」に基づく秩序を脅かす者を制裁する(=ボコボコにする)ことであったわけです。

「同じ町」「同じ国」に住んでいる(=同じコミュニティに属している)者が、リンチする側が考える「オレたちのコミュニティのルール」に反する価値観を有しているということを「逸脱」と捉え、「制裁」するのです。

 

このような構図は、「ネットリンチ」でも同じです。「同じ国」「同じ日本語ネット空間」に存在している逸脱者をネット上でボコボコにするのがネットリンチです。

ただし、ネットリンチの場合は物理的な暴力が行われるのではなく、ネット上の書き込みが非物理的な暴力として為されます。これは、「言葉の暴力」である誹謗中傷や脅迫といったものだけでなく、個人情報を晒すなど、対象者の身の安全が間接的に脅かされるような情報を書き込むといった行為も含まれます。

 

「ネットリンチ」は情動のバグである

「リンチ」も「ネットリンチ」も、「逸脱」の程度と「制裁」の程度がバランスしないケースが多々あります。

端的に言えば、

 

  • こんな程度のことで、なぜこんなにボコボコにするのか?
  • ホントかどうかも分からないことなのに、なぜ既定事実と考えるのか?
  • 対象者がホントに逸脱者なのか?

 

といった疑問符の付くケースが非常に多いわけです。

先に挙げた白人至上主義者による黒人リンチも、リンチの対象者が公民権運動への賛同者かどうか、つまり、「白人至上主義」という「オレたちのコミュニティのルール」から相手が逸脱しているかどうかを見極めず、ただ黒人であるというだけで「制裁」していたわけです。

 

参考:黒人リンチで4000人犠牲、米南部の「蛮行」 新調査で明らかに 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

これは、当然ながら、理性的な判断の結果とはとても言えません。

なぜこのような「制裁」感情(処罰感情と言い換えても良いでしょう)が生まれてしまうのでしょうか。

 

心理学者で哲学者のジョシュア・グリーンは著書『モラル・トライブズ』の中で、「情動」が処罰感情に影響を与えることについて、以下のように述べています。

 

彼ら(筆者注:デボラ・スモールとジョージ・ローウェスタイン。心理学者)は、罰の研究でも同様の行動を報告している。彼らは被験者に、協力的もしくは利己的にふるまうことができるゲームを行なわせた。ゲームの後で、協力的だったプレーヤーには、利己的なプレーヤーを罰する機会が与えられた。(中略)罰の厳しさは情動反応の強さに比例した。(第10章)

 

ここで「情動」とされているものは、以前の記事で取り上げたダニエル・カーネマンが「システム1」、ジョナサン・ハイトが「象」と呼んだものです。平たく言えば「直感」です。

この「情動」が処罰感情に影響を与えるため、処罰の妥当性や厳しさはロジカルに判断されるとは限りません。

 

ここに、人間の持つ脳神経の特性としてのシャーデンフロイデを考え合わせれば、リンチやネットリンチにおける過剰な処罰感情は、情動のバグ(むしろ仕様かもしれませんが)による処罰感情の暴走と考えるべきでしょう。

暴走なので、ハタから見たときに合理性を見出せないのは当然と言えます。(このあたりは、次回さらに掘り下げたいと思います。)

 

他方、企業を対象にした「ネット炎上」での非難・批判については、「情動」だけでなく「理性」(「システム2」「象使い」)に相当するものも多く見受けられます(もちろん「理性」だけなわけでなく、玉石混交ですが)。これこそが、「ネット炎上」と「ネットリンチ」の一番の違いと言えるでしょう。

つまり、企業側は、どこまでが受容すべき非難・批判で、どこからが「ネットリンチ」なのかを見極めなければならないわけです。

 

この見極めができないと、いざ自社がネット炎上の対象となった際に「ネットリンチ」を受けているという誤った認識を持ってしまい、一方的な被害者意識に陥ってしまう可能性があります。

事実、実際に炎上した企業のご担当者様から、「なんでこんなに叩かれるのか、分からない」という戸惑いの声を伺うことが度々あります。

このような認識の齟齬は、ネット炎上を鎮火させるにあたっての大きな障壁となるだけでなく、再びネット炎上を起こしてしまうリスクを温存することになりますので、改めなければなりません。

 

 

今回はここまでとして、次回は、ネットリンチをする人の実像と、その対策についてより深く掘り下げていきたいと思います。

 

 

なお、蛇足ではありますが、私自身は、ネット炎上は場合によって社会に資することもあるだろうと思う一方、ネットリンチは有害なだけであると考えています。

本ブログはあくまで、企業のリスクマネジメントに資するという観点から書いていますので、「社会に物申す」というようなスタンスは取っておりません。このため、リンチやネットリンチという唾棄すべき行為についても務めて淡々と記載しております。

リンチ、および、ネットリンチを肯定する気持ちは微塵もありませんので、お汲み置きください。