銀座いせよしという呉服店のポスターがネットで炎上しました。
呉服店のポスター「ハーフの子を産みたい方に。」に批判殺到 「ご意見を真摯に受け止める」とコメント - ねとらぼ
「ハーフの子を産みたい方に」3年前の着物店ポスターが物議 ブログ削除し「真摯に受け止める」 : J-CASTニュース
非難の対象となった当該ポスターは2016年に制作されたもので、それが3年経った今になって問題視されるに至ったというのが、今回の騒動の特筆すべきところではないかと思います。
そこで今回は、なぜ3年前のポスターが炎上するのか、という観点からお話ししていきたいと思います。
3年前と今では、何が違うのか
当該ポスターで何が問題視されているのかと言えば、着物を着ることの効用について、
- ナンパで、いい男に声をかけられる。
- (外国人に気に入られて)ハーフの子供を産める。
という2点に集約したことにあります。
批判の論点としては、
- 「ハーフ」という属性を、子供の人格に思いを至らせることなく、ひとつのステータスとして見なす即物的な価値観。
- 「ハーフ」という表現の言外に包含される、対象として白人男性のみを念頭に置いているであろう差別意識。
- 女性が和服を着ること(和服に限らず、何らかの装いをすること全般)が、良い男を引きつけるためであるというジェンダー観。
ということに対するものが多く見受けられました。
これらは2016年の時点でも十分にNGなものでしたが、ポスターの発表時も、「東京コピーライターズクラブで新人賞に選ばれた」際にも、これといって話題になっていません。単に誰にも知られていなかっただけなのか、それとも、2019年に至る3年間の間に社会に変化があったのか。
前者の要素もあるとは思いますが、本稿では、後者について掘り下げていきたいと思います。
「ハーフ」ということ。人種。国籍。
2016年といえば、年初にタレントのベッキーの不倫報道があり、それに伴って下記のような週刊誌ネタも出るような時代背景です。
ベッキー失墜で一新される「ハーフタレント勢力図」を塗り替えるのは? - まいじつ
当時は「ハーフタレント」という枠が芸能界で定着しきった時代でもありました。それは、タレントのSHELLYさんに対する2017年のインタビューからも見て取ることができます。
SHELLY「ハーフ会の話はマジでやめて」コメントを拒否 | 日刊大衆
SHELLYはハーフタレントについて、「この5年、いや3年でめちゃくちゃ自由になってきたと思いますけど」と発言。ウエンツ瑛士(31)やアントニー(27)といった、英語が話せないハーフがいるということが世間に認知され、同じような一般のハーフの人たちも助かっているのではないかと語った。
このような時代背景が、
「ハーフの子供を産みたい」
という言葉に端的に表されていたのではないかと考えられます。
が、その後、ポリティカルコレクトネスに対する社会の理解が進むに連れて、「ハーフ」ということについての捉え方が変わってきます。
一つの潮目となったのは、2018年9月、テニスの大坂なおみ選手が全米オープンで優勝したことをきっかけに湧き上がった議論です。
「日本人」とは誰か?大坂なおみ選手についての雑な議論に欠けた視点(井戸 まさえ) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
大坂なおみ選手は「日本人」ではない。なぜ、都合のいいときだけ「日本人」にしてしまうのか?(山田順) - 個人 - Yahoo!ニュース
さらに視点を「ハーフ」というピンポイントな課題から「人種」という包括的な課題にまで広めた場合には、2018年の年末に放送されたテレビ番組での黒人差別問題についての議論も大きく話題になりました。
「ガキ使」浜田雅功の黒塗りメイク BBCやNYタイムズはどう報じた? | ハフポスト
『ガキ使』“黒塗り”に日テレ「差別の意図なし」と回答も…ハフポスト編集長「モノマネでも許されない」理由 | AbemaTIMES
「ダウンタウン浜田雅功のエディマーフィーのモノマネは黒人差別」問題を整理する - 高慢と偏見
これらの議論を通じて、日本社会における人種問題に対するナイーブな無理解に向き合い、コスモポリタンな人権意識を持つことが大切なのだというコンセンサスが、一定の範囲で共有されたと考えるのが妥当でしょう。
このような社会背景の変化が、たった3年の間に発生しているわけです。
ジェンダー観について
次に、「女性のおしゃれ=いい男を引っ掛けるため」というジェンダー観についてです。
実際、恋愛対象や結婚対象として好条件な男性を捕まえるためにおしゃれをする、という女性もいるでしょう。ですが、それは、女性が常にそうである、ということとはイコールではありません。
和装をすることで、結果的に良い出会いに巡り合うこともあるかもしれませんが、良い出会いを目的として和装をするという発想自体が、目的と結果を履き違えた発想であり、それを「女性」として一般化することはステレオタイプによるレッテル貼りでしかありません。
ただし、このような主張がネットでの大きくなってきたのは、非常に最近になってからのことです。
その大きな潮目になったのが2017年に始まった「#metoo」であったのは間違いありません。
「#metoo」自体はセクシャルハラスメントや性的暴力の被害を告白・告発する運動ですが、これが契機となって、女性が女性性に閉じ込められ女性性以外のアイデンティティを認められない、ということに対する反発の声が大きくなってきたように思います。
つまり、女性が「女性」というステレオタイプによるレッテル貼りに対して明確にNOを言うことが、一部のフェミニストだけの行為ではなくなってきたということです。
このことも、3年の間に大きく変わった社会背景であると言えるでしょう。
価値観の変化の激しい時代だからこそ
ここまで、銀座いせよしのポスターのメッセージに関連するトピックに限って社会背景の変化を見てきましたが、これ以外にもこの2、3年で大きな変化の見られるトピックが幾つもあります。
つまり、3年前の感覚を引きずっているということが非常にリスクになる時代であると言えます。
これを前提として、ここから導き出される課題は2点あります。
1つめは、過去のクリエイティブをどうするのか、という、個別具体的な課題。
基本的には、何年も前のクリエイティブがほじくり返されて炎上する、というケースはほとんどありません。
では、今回なぜ3年越しで炎上してしまったのかといえば、企業の公式ブログ上に掲載されていたから、という要素が大きいでしょう。
非難の最初の声を上げた人が、どのような経緯で当該ブログ記事にたどり着いたかは分かりません。しかしながら、Facebookのように検索にヒットしない媒体であればまだしも、過去ログが容易に検索にヒットする媒体では、「昔の話」という免罪は成り立ちません。
実際、不動産業界では物件紹介などを自社のブログに記載するにあたって、過去ログが誤解を生まないように自主的な運用ルールを設けている場合もあります。つまり、ブログといえど、公式情報として掲載しているのであれば、昔の記事でも現在の価値基準で閲覧されてしまうということを踏まえなければならない、ということです。
2つめは、そもそも価値観の変化を見逃さないためにどうするのか、という課題。
これに対しては、ネットでどのようなトピックについてどのような議論が行われているのかをキャッチアップし続けるしかありません。
そのためには、新聞、週刊誌、テレビなどのマスメディアを追いかけるだけでは全く足りませんし、特定のネットメディアを見ていれば事足りるということでもありません。
私は仕事上、大量のネットメディアを見るだけでなく、Twitterなどで様々な価値観の人たちをフォローして、それぞれの論調を把握することにかなりの時間を割いています。これも、特定少数の論者をウォッチしていれば事足りるということでもありません。普段は攻勢に回ることが多い論者が、トピックによっては守勢に回る、ということもあるので、できるだけ広い範囲でウォッチすることが必要です。
逆に、特定の主義・主張に偏ってウォッチしていると、トピックの全体像がつかめなくなってしまい、理解のバランスを失います。
例えば、常にフェミニストにだけ気を配っておけばOK、ということではありません。
ジェンダーについては常にざまざまな立場から議論が交わされており、特定のフェミニストの意見にだけ頼るのはバランスを失うことになりかねません。
ポリティカルコレクトネスが行き過ぎれば、それに対する揺り戻しが起きることも不思議ではありませんし、その揺り戻しが大きくなるのか小さくなるのか、しっかりと見極める必要があります。
実際アメリカでは、新反動主義と言われる言論人の声が大きくなってきているという指摘もあります。
欧米を揺るがす「インテレクチュアル・ダークウェブ」のヤバい存在感(木澤 佐登志) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
新反動主義の主張の是非はともかく、全体の流れを掴んでおくことが重要です。
とはいえ、企業がネット右翼のような言説を垂れ流すのが正しい、ということは将来にわたってもありえません(これは断言できます)。
ここで申し上げたいのは、プロモーションにおいては企業のメッセージが企業の意図する通りに伝わることが重要なわけで、表現の問題でそれが伝わらなくなってしまったのでは元も子も無いということであり、そのような残念な状態に陥らないようにするためには、時代の価値観に伴う「表現」の在り方に敏感でなくてはならない、ということです。
そのためには、特定の観点のみに縛られてしまうのではなく、どのようなトピックについてどのような議論が交わされているのか、ということを柔軟にキャッチアップしている必要があります。
もちろん、時代の変化にかかわらず、企業としての譲れないポリシーがあるでしょう。それを捨てる必要はありません。
本ブログにおいても過去に何度も書いていますが、迎合する必要は無いのです。ただ、時代の流れを把握しないままナイーブに無防備なクリエイティブを投下して、意図していない批判を受けてしまうということは避けましょう、ということです。(参照)
逆に、時代の変化やホットトピックについてきちんとキャッチアップし、それに対して明確なロジックを立てて反論をする、というプロモーションがあっても良いわけです。
蛇足
本筋の話ではないのですが、今回の炎上は、広告主だけでなく、広告クリエイターが個人として槍玉に挙げられたというのが、これまであまり無かったケースといえます。
広告業界側としては、広告主のセンスに従ってクリエイティブを制作しないと企画が通らない、という問題があるかとは思いますが、今後このようなクリエイター個人が槍玉に挙げられるようなケースが多くなるようならば、制作における配慮が必要になるでしょう。
その「配慮」とは具体的にどのようなものであるか、各現場によって状況は異なると思いますが、広告代理店や制作会社各位は検討されるのが良いのではないかと思います。